いけばな展を作品展示の機会と捉えるから ”ゴール” だと思ってしまうのであって、いけばな展は新たな歩みの ”スタート” に他ならないのです

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

先日開催された「光風流西播支部いけばな展」から数日が経ち、主催者や作品展示をなさった皆様も、そろそろいけばな展ロスから現実世界に戻ってこられたころかと思います。
大きなイベントや、大きく盛り上がったり熱中したものが終わると、どうしても気持ちが抜けてしまいます。がしかし、その脱力感というか達成感というか満足感は、気持ちの良いものでもあるんですよね。

「いけばな展」は、いけばな作品を展示する事を目的に開催してはいけない

「いけばな展」って聞くと、ほとんどの方が ”いけばなの作品を並べて展示している機会” って思われていると思います。
まあ、間違いじゃないです。確かにいけばなの作品を並べて展示していますからね。けれど私は「いけばな展」って単に作品を見て頂くだけの機会ではないと思っています。
では私が考える「いけばな展」って何かというと、”いけばなを核にして人と人が集う場所” だと捉えています

たしかにいけばな展の会場では ”いけばな作品” を見て楽しみますし、もちろんそれだけでも十分魅力があるものです。けれど ”楽しい” っていうのは、自分1人で感じていても広がりや深まりは生まれないんですよね。
誰かと一緒に作品を見る。誰かといけばな展の会場で話をする。いけばな展の行き帰りに誰かとお茶や食事をする。そんな誰かと関わり一緒の時間を共有するからこそ楽しさが増幅したり、1人の時にはなかった楽しさが生まれたり新たな魅力が生まれたりすると私は思うのです。

「何をしているか」ではなく「誰としているか」にこそ価値がある

「いけばな」は多くの学びを得ることができますし、子供から老人、男性女性など性別世代を超えて楽しむことができるものです。これは絶対に間違いありません!
しかし1人で孤独に「いけばな」と関わっていても、長続きできるものでもありません。だって人間は ”気分の生き物” です。その時によってノリノリの時もあればイマイチ気分が乗らない時もあります。
そんな気分が乗らない時に「今日何時に行くの~?」と声をかけてくれる仲間や、「○○さんと出会ったら面白いからとりあえず行こうかなぁ。。。」って思わせてくれるのは仲間なんです。

その意味で言うならば、いけばなだから長く楽しむことができるのではなく、良い仲間といるから長く楽しむことができるのだといえると思うのです。

いけばな展は ”ゴール” ではなく、新たな歩みや可能性の ”スタート” なのです

今回のいけばな展を作り上げ準備する過程で、支部や社中の皆さんの絆が強く太くなったことと思います。そしていけばな展を通じて、新しい仲間との接点が生まれたことでしょうし、いろいろな可能性の扉も生まれてきたことと思います。
いけばな展が盛会裏に幕を閉じることができたのは本当に素晴らしいことだと思います。しかしそれは、このいけばな展で目指していた最終目標ではないのです。

いけばな展に作品を展示していた1人1人が、お越しくださった友達や仲間や同僚にお礼の連絡をおこない、そして仲間にお誘いする事こそが、今回のいけばな展を契機にして未来にいろんな可能性を広げる唯一の方法だと思うのです。
いけばな展に作品展示をされた皆さんが、これから新しい扉を開かれることを切に願っています。

 

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。