「機」が熟さなければ本当の理解を得る事はできません。それ以外の時は理解ではなく知ることができているだけなのです
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です
いよいよ「光風流いけばな展」の生け込みまで、あと3日になりました。昨日の光風流本部いけばな教室では、通常のお稽古だけではなくいけばな展の作品作りにお越しになられている皆さんとで大賑わいの一日でした。
そんな中で、学びには単なる情報のインプットと物事の本質を習得するという二つがあり、「機が熟さなければ理解を得る事はできない」という事について改めて感じたので、今日はそんな事についてブログを書き進めたいと思います。
ちなみにこれって、”いけばな” に関する事というよりも、人生やお仕事においての有る有るネタだと思います。
アンテナが立たないと理解する事が出来ない
いけばなでは、お花を生ける知識や技術を学んで頂くために色々な説明やお話をさせて頂いたり、実際にお花を生けて頂いたりします。そんな中でこちらがどんなに有益な情報をお話させて頂いても、受け手の側の生徒さんが、その情報を理解するために必要な一定のレベルに達していないと理解して頂く事だできずに済んでしまいます。
私はこの一定のレベルに立つことを「アンテナが立つ」という風に表現しています。
最近はネットフリックスやYouTube、その他様々な配信が有るのでテレビを見る方も減っていますが、テレビ放送を見ようと思うとアンテナが必要ですよね。地上波を見ようと思ったら地上波のアンテナが必要ですし、BSを見ようと思ったらBSのアンテナが必要です。しかし地上波のアンテナではBSを見ることは出来ません。
テレビの電波は私達の身の周りを一杯飛んでいます。しかしその電波を私たち自身が身をもって感じることは全くありません。なんならそんな意識すらしていないですよね。しかしアンテナが立てば、そのアンテナで捕まえる事が出来る放送は見ることが出来るようになります。
この状況ってまさしく、「機が熟さなければ(アンテナが立たなければ)、理解を得る事はできない。」という事なのです。
「知る」と「理解する」は、全く違う
さてここで大切なのは、「知る」という事と「理解する」という事は、似て非なるものであるという事です。
「知る」というのは情報のインプットでしかありません。例えば本をたくさん読んで色々な事を知っている、という状態です。なので知る事はいくらでもできます。いけばなで例えるならば「”A” といういけばなの決まりを知っている」って感じです。
一方「理解する」というのは、その事についての本質を把握しており応用できる、という状態になります。こちらは「”A” といういけばなの決まりが、なぜそのように定められているのかその理由を把握している」という事になります。
つまり知っているだけでは、使いこなす事や役立てる事はできないのです。理解しているからこそ、必要に応じて使いこなす事が出来るし役立てることが出来る様になるのです。
人は経験や学びに応じてステップアップし、アンテナが変ってゆく
いけばなのお稽古を始めて1年目の人は1年の人なりの理解を、5年の人は5年の人なりの理解をされます。お弟子さんを教え始めて間が無い人はその人なりの、お弟子さんを10人教えている人はその人なりの理解をされます。すなわちその方の経験や学びによって立っているアンテナは違ってくるし、アンテナが違っているから自ずと理解度も変わってくるという事なのです。
同じ講師のお話を聞いても、毎回新しい発見があるというのはまさにそう言うことですね。
講師の方のお話が解りやすく上手に話すようになったというよりも、聞き手側のレベルや今おかれている状況が以前とは違うので、同じ話を聞いていても心に残る事柄が違ってきているという事なのです。
そんな事を改めて思った、お稽古日でした。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。





