ゆったりとした時間を過ごしながら思う、日本の正月は神と一体化する神事であるという事

皆様あけましておめでとうございます。
新しい年が明け、清々しい年の始まりをお迎えのことと思います。私も大晦日からゆったりとした時間を過ごさせていただいております。

さてそんな中、新年の食事をいただきながら、日本のお正月は神と一体化する神事だなぁという事を改めて思ったので、今日はそんなことについて書きたいと思います。

お正月に使うお箸は両方が細くなっていますが、何故かご存知ですか

お正月には両方が細くなっているお箸を使いますよね。写真のような ⇓⇓⇓ こんなやつです。

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このお箸、お正月になぜ使うのかご存じですか。正月に酔っ払ってお箸の上下の持ち方間違えても大丈夫なようにではありませんし、見た目が綺麗からでもありませんし、みんなでお節料理や大皿に盛られたような料理を食べる時の取り箸の心配をしなくていい様にでもありません

お正月に使うお箸の事を「柳箸」といいます

まずこのお箸は、日頃お弁当とかについている割り箸とは全く意味の違うものになります。

まずその素材は「ヤナギ」を使うと定められています。なぜヤナギを使うのかというと、ヤナギは古来より神聖な木として考えられており「魔除け」として扱われてきている植物になります。なのでお正月のお花に柳が入っているのも魔除けとしての意味があるのですが、お正月のお箸も魔除けとしての意味があるこのヤナギで作られており、「柳箸」と言うのです。

私達の一口が神様の一口になります

そしてこの柳箸は上下両方とも細くなっていますよね。これは一方は私たちが食事をし、もう一方は神様が使われるために細くなっているのです。すなわち、新年を迎えて新しい歳徳神と正月の松の内の期間中に食事を一緒にすることを通じて、神様と私たちが一体化する神事を行なっているという事なのです。
要するに、私たちの一口が神様の一口でもあるという事であり、お正月の期間中を通じて神様と一体になることで、この1年間の無病息災や家内安全などの恩恵を授かることができるように願うと言う事なのです。

日本の宗教感の特徴は「一体化」にこそあると思います

私は昨年12月にバリ島に行ってきましたが、バリも神々の島として日本の八百万の神と同様に様々な神様が居られるという考え方の地域になります。

バリ島では地の神様にもお供えがなされています。

そしてそんな中で私なりに様々な事を感じたり学んだりして帰ってきたのですが、そんな中の一つに、バリでは沢山おられる神様を畏れの対象として捉えているのに対して、日本では畏敬の念を払っているのは当然なのですが、人間と神は一体化する対象として捉えられているという事なのかなぁと思いました。
その例は日常の中に沢山あり、「神降し」と呼ばれる神を自らの身体に宿すことや、門松や正月花などの「依り代」という考え方、あるいは神霊が宿るという「ご神体」という考え方などはその代表的なものになります。
他にも言霊や口寄せなどそういう行為は沢山ありますが、その最たるものが「お正月」であり「柳箸」に表れていると思います。

柳箸は松の内の期間中、同じものを使いましょう

この柳橋は全部同じ形をしていますので、まとめて洗ったらどれが誰の使っていたものかわからなくなっちゃいますよね。
しかし先にも書いたように、自分が食べる一口が神様の一口にもなりますので、お正月のお箸は誰が使ってもいいものではなく、1人1人の物になるのです。

なので古来よりこの柳箸の袋には、年末に家長が家族全員の名前を書いて、誰が使っている箸か分かるようにするのがだたしい作法になります。
ちなみに今では家長なんて言わなくなっちゃいましたね。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。