植物を見ていると感じる「兆し」の大切さ

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日は朝から事務を行い、お昼にはランチ例会、そして光風流の流誌「光風たより」に掲載するいけばな作品の写真撮影の立ち合い、からの事務事務三昧の1日になっています。
そんな中、写真撮影で使用されていたボケの花や蕾を見ながら「兆し(きざし)」に大切さという事について思ったことがあるので、今日はそんなことについて書きたいと思います。

物事は目に見えない「兆し」から始まっている

季節の移り変わりは、目に見えないようなことが積み重なり、そして大きな変化となっていきますが、これって全ての事が同じだと思うのです。

たとえば今日の写真撮影で用いられていたボケですが、咲いた花もあれば蕾もついている花材でした。ボケは春を一足早く感じさせてくれる花材ですが、ほとんどの方が花が咲いたら気付いて「おぉ~キレイなぁ~」って感じになります。
がしかし、実はこの咲いている花は昨日今日突然ポンと咲いたわけではなく、冬に入る前からその花芽はついていたのです。
そして私たちには全く気付かないくらいの蕾というか蕾の赤ちゃんが少しづつ少しずつ成長して膨らみ、花が咲いているのです。つまり今咲いている花は、冬になる前から準備を進めていて、私たちが気づいていないだけなのです。

これって実は、私たちの日常生活で繰り広げられているすべての事も全く同じことがいえるのです。日頃の生活やお仕事の中で目に見えないようなことが積み重なり、そして大きな変化となって表れているのです。

「兆し」を地道に積み重ねるからこそ、大きな変化に結びつけることができる

新しいことを始めようとか今あるモノを改革しようと思い行動を起こした時も、最初は目に見える進捗や成果が現れずにイライラしたりすることがあるでしょう。しかしそこで諦めたりふて腐れたりしないことです。なぜならば、物事は全てが「兆し(きざし)」から始まるものだからです。

例えば、お水からお湯を沸かそうとするときも、最初は中々温かくなりません。なんだったら本当に暖かくなるのか心配になるくらい火にかけて暫くは水のままの状態が続きます。しかしいったん温かくなり始めたらあとはすぐに沸き立ってきます。
エンジンの掛かっていない車を人力で押して動かそうとするときも同じです。最初は大きな力が必要ですが、いったん進み始めてしまえばそんなに大きな力がなくとも進んでゆきます。

新しい事を興したり変革を行おうとしている時に、最初は「兆し」をしっかりと積み重ねてゆくのが何よりも大切なのです。この目に見えない「兆し」を積み重ねている段階では本当に成果に結びつけることができるのかどうか不安になることのほうが多いと思います。しかしこの地味な積み重ねを愚直に行うことこそが、目に見える成果に結びつけることができる唯一の方法なのです。
そんな事を写真撮影をしながら思ったので、今日のブログネタにしてみました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。