「七夕」は1年に1度男女が会えるロマンチックな物語ですが、実はその物語の始まりは ”お盛んな2人のお話” だったのをご存じですか

こんにちは。内藤正風です。

明日は七夕ですね。小さなお子様やお孫ちゃまがおられるお家では、絶対に忘れてはならないイベントの1つとして準備をされている方も多い事と思います。
ちなみに明日の夜に七夕まつりをすると「後のまつり」になっちゃうってことはご存じですよね。もしご存じない方は、先日の私のBlog「七夕のお祭りを7日の夜に行うと、まさしく「後のまつり」になっちゃうのをご存知ですか」をご覧になってくださいね。

「七夕」はいつから行われているのか?

七夕は ”五節句” の1つですが、この五節句というのは奈良時代に中国より伝わり、まず宮中において制度として行われるようになり、その後江戸時代の初期に幕府によって公的な行事を行う祝日として定められ、最初は武家を中心に行われていましたが、徐々に一般にも広がり、それと共に農作業の節目と結びつきながら現在の形になったものだと言われています。

”七夕”の起源は、日本において古来より行われていた豊作を祈ったり人々の穢れをはらう「棚機(たなばた)」という禊(みそぎ)が元々ありました。そこに中国から日本に伝わってきた「乞巧奠(きこうでん)」という女性の機織りや裁縫の上達を願う行事があわさり、加えて仏教伝来後にお盆を迎える為の準備的な位置づけとして扱われるようになり、それが時代を経て現在の七夕の形になったそうです。

皆さんが思われている「七夕」のロマンチックな物語は、一番最初は全然ロマンチックではなかったってご存知ですか

ところで七夕は、「織姫(織女星)」と「彦星(牽牛星)」が1年に1度出会う事が出来るロマンチックな物語として伝わっていますが、実はこの1年に1度の逢瀬の物語の始まりは全然ロマンチックな事からスタートしていないというのをご存知ですか?

天上の最高の神様である”天帝”の娘の「織姫」は、天の川の西岸に住み、機織り(はたおり)がとても上手で働き者でした。天帝はそんな娘の結婚相手に、天の川の東岸に住み働き者として有名な牛使いの「彦星」を引き合わせ、2人は結婚し夫婦になりました。
夫婦仲はとても良くて幸せな時間を過ごしていたのですが、結婚してから2人はイチャつくばっかりで仕事を全くしなくなってしまったそうです。
これに天帝は大いに怒り、天の川を渡れなくして2人を離れ離れにしてしまったそうです。
しかし全く会えないのでは可哀想だという事で、七夕の夜に限って2人が合う事を許したのが七夕の元々の物語だそうです。

ええ、仕事しないから引き離されたのです。
なんなら2人でイチャついてばかりで、使い物にならなくなってしまっただけです。
はい、ちょいとお盛んな2人だったようです。(笑)

ま、仲の良い事は素晴らしい事ですので、そんな”織り姫”と”彦星”にあやかって「七夕」を楽しみましょう!

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。