自分のスキルや経験値が高いほどその場凌ぎや小手先でごまかすのではなく、圧倒的なクオリティーで凌駕しなければ生き残ることはできない
こんにちは、内藤正風です。
「WA音華座」から2日が経ちましたが、まだまだWA音華座ロスな状態です。
ちなみにSNS上では、まだまだ「WA音華座」関連の投稿を皆さんが行なって下さっており、これだけ皆さんの記憶に残していただけたり楽しんで頂くことが出来たんだなぁと、それもまた本当にうれしくて、WA音華座ロスが増幅されています。
ワクワクしっぱなしだったWA音華座の2日間
先週末の21日(土)22日(日)に、加西市吹奏楽団の生演奏といけばなのデモンストレーションで1つのテーマを表現する「WA音華座(わおんかざ)」というイベントを開催しました。
本当に当日は楽しくてワクワクしっぱなしの2日間で、あっという間の時間でした。
何がそんなに楽しかったのか挙げればきりがないのですが、その中の1つとして「生」の迫力という事があります。
ちなみにここでいう「生」とは「Live(ライブ)」という事です。
「生」だからこその迫力や魅力があります
いけばな作品は絶対に「生」でなければその魅力を十分に感じることはできません。植物の素材感や香り、作品の立体感や大きさの迫力などは、写真や動画では絶対に感じることが出来ません。
これは絵画や彫刻、陶芸、舞台、音楽なども同じことが言えると思います。
特に今回の「WA音華座」は、いけばなの作品を目の前で生けるデモンストレーションと吹奏楽の生演奏とコラボレーションしましたので、いけばなの作品が何もないところから完成するまでを目で見て、植物の香りを鼻で楽しみ、音楽の演奏を耳で聞き音圧を肌で感じるという、五感すべてを刺激するものでしたので、写真や動画がいくら進化しているといってもこの迫力や魅力は、「生」でなければ絶対に感じることは出来ないものになります。
例えるならば、プロ野球の試合を家でテレビ中継を見るのと、球場で観戦するのとの違いと同じです。
テレビで野球を見れば、試合の様子や歓声など球場と同じものを見ることはできます。しかしその臨場感はいくら音響設備を整えて大画面テレビで見ていても「生」の迫力には遠く及ばないのと同じで、いけばなの作品も「生」だからこその迫力や魅力があるのです。
テクノロジーが発達して便利になるほど、「生」の価値が大きくなるのです
テクノロジーは日々進歩してゆきます。便利な道具が増えることで、色々な可能性がどんどん広がってゆくのは間違いありません。
しかしだからこそテクノロジーに頼り小手先でごまかすような事をするのではなく、そのもの自体が持つ存在感や迫力などを大切にすると共に、そもそも論として圧倒的なクオリティーを「生(ライブ)」で生み出すことが出来なければ、これからの時代は生き残ってゆくことすら出来なくなってゆくと私は思います。
自分のスキルや経験値が高くなればなるほど、その場凌ぎや小手先でごまかすことは簡単にできるかもしれません。しかしそれでは人の心を揺さぶるような表現を生み出したり作品を作り出すことは、出来なくなってしまうのです。
今回のWA音華座のデモンストレーションを見ている方が涙を流しながらご覧になられていたり、デモンストレーションが終わった瞬間に思わず拍手をしたりという事を見ていて、そういうことを改めて痛感する機会になりました。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。