少ないという事はそこに価値が存在しているという事であり、自分の価値を一番知らないのは自分自身であるという事

こんばんは、内藤正風です。

今日は朝から光風流本部いけばな教室で、終日お稽古Dayでした。お稽古の後にはお茶を飲みながら色んな雑談を中心にお話をするのですが、その中で「いけばなという特殊技能」ということについてお話ししましたので、そのことについて書きたいと思います。

いけばなを習われる方が少なくなった

30年ほど前からいけばなを学ばれる方が少なくなり、今ではいけばなを学んでいるという人を巷でほとんど聞かなくなりました。
30年ほど前までは、女性は結婚前には一度はお稽古しておかないと恥ずかしいという様な価値感の世の中でしたので、確実に9割以上の方はお稽古をしているかあるいはお稽古をしたことがある方でしたので、その差はとても大きなものがあります。

とはいえここで言いたいのは、習う人が少なくなって残念なんてことではありません。
だってそんなことをいくら嘆いても1mmも状況は変わらないのですから。
では何を私が言いたいのかというと、習われる方が減ったということは、いけばなを学ばれている人の価値が上がったと言う事です。

希少は価値になる

なぜ私が習う人が減ったのに価値が上がっていると言うのかと、それは何かを買おうと思った時に、数が少なく中々手に入らないものは値段が高くなるのと同じ論理です。

例えば珍しい宝石が高いのと同じことで、珍しいとか中々手に入らないというのはそのこと自体に価値が生まれてくるということであり、希少性が生まれるということに他なりません。

なので今いけばなをお稽古されている方は世の中から見ると、価値のある存在だということなのです。

いけばなを習っている方に希少価値があるなら、いけばなの指導者にはもっと大きな価値がある

最初にも書いた様に30年くらい前までなら、1つの町内に複数のいけばな教室があるのが普通でした。
あるいは親戚のおばちゃんがいけばなの先生しているなんてことも、日常茶飯事でした。
しかし今や、いけばな教室なんて見かけることも聞くこともほとんどなくなっています。

ま、当然といえば当然ですよね。
習う人が激減しているのですから、指導者である先生も激減しているのはいうまでもありません。その上これまでいけばなを指導されていた先生方は高齢化してどんどん辞められていっているのです。

ということはいけばなの指導者だけではなく指導者の資格を持っている方も含めて、いけばなを学ばれている方以上に希少価値がどんどん出てきているということに他ならないのです。

自分の事を一番知らないのは自分自身

いけばなの指導者が希少なものになり価値があるという事は、いけばなの指導者の資格を持っている方はその資格を生かしやすし状況になっているという事です。
すなわちいけばな教室を開催しやすい状況になっているし、軌道に乗せやすいという事でもあります。
よくビジネスの世界でいわれるレッドオーシャンとブルーオーシャンのうち、いけばな教室はブルーオーシャンになっているという事ですね。

自分の事を一番知らないのは自分自身だという言葉があるように、いけばなの指導者の資格をお持ちの方はまさに今、自分のもついけばなの指導者の希少性とその価値を再認識するべきでしょうし、その特殊技能を用いて自分の人生を楽しいモノにできるだけではなく、自分の周りの人たちも幸せにすることが出来るという事に気付いていただきたいと思います。

貴方の普通は他人の普通ではないのです。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。