渋滞の真っ只中で思い出した、通信手段の移り変わりについて

こんにちは。内藤正風です。

今日のブログは大渋滞の中からのアップです。

渋滞に飛び込んでから気づきました!

事故でも無いのに、なんでこんな時間にこんなに渋滞してるのかと思ってたら、今日は土曜日でした。
その上よくよく考えると、三連休の初日でしたね。日頃、土日祝日に全く関係なく定期的なお休みも無い生活をしていると、まあこんなものです。
お陰で一番最初のお約束に大遅刻です。いやーまいったまいった(笑)

まいったって言いながら、全くまいってはいないんですけどね。
ええ、携帯で既に先様には早い段階で遅れる旨を連絡済なので、あとはまさしく流れに身を任せるだけですーー(笑)

今は"いつでも""どこからでも"連絡が出来る時代になりました。

一昔前ならこんな訳にはいかなかったですよね。こう言う状況になっても連絡手段もないので、ただひたすらイライラしておくしかなかったのですから。

私は結構早い段階から、ポケベルや携帯を持っていたので、かなり連絡は付きやすい状態にはありました。

「ポケベルが鳴らなくて」というドラマはご存知ですか?

学校卒業してすぐにポケベルを持ちましたので、本部に連絡をいただければ、本部から私に連絡が入る様にはなっていました。

ただ私が使っていたのはポケベルって言っても、数字も文字も表示されない、ピーピーピーって呼び出されるだけの極めて初期のやつでしたので、公衆電話探して本部に電話しないと何のことやらまったくわかんなかったこですけどね。
(笑)(笑)

私が使っていたのとは形がチョット違いますが、こんなのです。呼び出しオンリーの超初期型です。(笑)(笑)

ちなみに、私がポケベルを持ち始めて5年後くらいにテレビで「ポケベルが鳴らなくて」って言う恋愛ドラマが流行ったんですよね。

ポケベルに連絡が入るのを待ちながら相手のことを思い続ける。。。な〜んて、いつでも連絡が取れるのが普通になった今としては、なんかロマンチックに思っちゃうのは私だけでしょうか?

携帯できない携帯電話もありました

そのあと27歳か28歳の頃から携帯を持ち始めました。
携帯って言っても、この頃のは「ショルダーフォン」って言って女性の鞄くらいの大きさがあって、今の携帯とは全く違う代物でしたけどね。

こんなの常に肌身離さずなんて無理ですー。この頃はいつも必ず車で移動していましたので、ほとんど車の中に置いたままでしたね。

それに今の携帯のようにバッテリーごが長持ちしなかったですから、いつも車の中でコードをつないで充電していました。連続待受四時間とか6時間とかでしかから。。。

はい。ほぼほぼ携帯していない携帯でしたね。
(笑)(笑)

今や携帯の電話回線が不要になりつつある時代に突入しました

そんな時代から今や、電話回線での通話なんてほとんどしない時代になりました。
自分のスマホ持っていればネットが使えるので、世界中よほどヘンピなところでもなければ連絡がつきますし、ほんともの凄い変わりようですよね。

いやー懐かしいなーー。
むっちゃ久しぶりにそんな事を思い出したので、今日はブログにつらつらと書いてみました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。