「必要は学びの母」であり「興味は学びの父」なんです。だからこそ今から学べば良いんです

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

私は女性の一定の世代以上の方と会話をしている中で、よくこういうお話をお聞きします。「若いころにお花習っていたんだけれど全く身についていなくて。」って。
これ実は恥ずかしい事でもなんでもなく、皆さんそうなんです。というか、それが普通なんです。

今日はこの理由などを分析しながら、ブログを書きたいと思います。

人は必要な事しか記憶しないし、不要になったら忘れるものです

60歳代以上の方にお聞きします。いけばなのお稽古ですが、自ら進んで「私お花習いたい!」ってお稽古をされたのでしょうか。それとも、親に習いなさいって言われたのでお稽古に行かれていたのでしょうか?
あるいは学校のクラブ活動にいけばながあったので、内申書の点数稼ぎになれば良いと思って、お稽古されていたのでしょうか?

この時代にお稽古をなさった方の大半は、自らいけばなを学びたいと思ってお稽古を始められた方は、極めて少ないと思います。
親に進められてとか、結婚するときにいけばなの免状を持っていないと格好悪いからとか、進学や就職の時の内申書にプラスになったらよいとか、そういう人が多かった時代です。
そんな中で学んだ事を、今もばっちり覚えていたりするはずがないです。

これって簡単な事です。たとえば、高校の授業で習われた事を全て覚えておられますか?大学で学んだことを全部覚えておられますか?たぶん大半はすっかり忘れてしまわれているんじゃないかと思います。
ただ、お仕事に関係ある事とか、日頃必要で使っているような事は覚えておられると思いますし、身についているというか日々活用されていると思います。
なのでいけばなで学んだ事を全部忘れているのは、普通なんです。人間は必要な事しか記憶しないし、覚えていたことも不要になったらすぐに忘れてしまうものなのです。

「必要は学びの母」であり「興味は学びの父」です

必要に迫られると、人間は覚えようと意識しなくても覚えちゃいます。面白いなぁ・・とか、好きだ!!って事は、やりなさいと言われなくても、自ら進んで取り組みます。
これって真理です。

雑談している中からでも、自分に関係ある事や、今自分が必要としているような事は耳に残ります。しかしどんなに良い講義も、必要に迫られていなかったり興味が無ければ、そのほとんどが役立つ情報として記憶に残りません。
つまり、意識を持つ。興味を持つ。必要に迫られる。これこそ学びの一番の原動力だと思います。

今、学べばいいのです。今、行動すればいいのです。今日はあなたにとって一番若い日なのですから

覚えていない事も、忘れてしまったことも、恥じる様な事ではないと思います。だって興味も必要もなかったってだけの事なのですから。
ただし、興味が生まれたり必要になっているのに、難しいとか分からないというようなことを理由にしてもし逃げているのだったら、それはかなり恥ずかしい事だと思います。

人生にこれで良いというときは無いのです。常に自己を高めようとする事こそが、成長に結び付く唯一の方法なのです。
知らなければ今学べばいいんです。今行動すればいいんです。だって、今日が自分にとって一番若い日なのですから。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。

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