今日は阪神淡路大震災から29年になりますが、全てが旧に復することは無く、復旧復興の大変さを改めて感じる日でもあります

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日1月17日は、兵庫県南部のものにとっては忘れられない「阪神淡路大震災」の起こった日になります。
阪神間のメディアはあの時の事を毎年大きく取り上げますし、私たちにとっても忘れられない日であるとともに忘れてはならない日でもあります。

”衝撃” としか言いようのない日

阪神間から離れた加西市に住んでいる私が、なぜそんな風に感じているのかというと、震災が起こった日、私は加西市の自宅にいました。震度で言うと加西市は震度3でしたが、それでも今までに経験した事がない地の底から聞こえる地響きのような音、そして長時間の揺れでした。なのでこれは何事かと思って、地震の直後にテレビを付けました。
するとそこから聞こえてくる情報は未確認情報とされながら、阪神高速が倒壊したようだとか、あちらこちらで家が倒壊したり火災が起こっているというような内容ばかりでした。
そこで6時過ぎくらいから、光風流の方のお家や私の友人の家に片っ端から電話をしたのですが、幸いにして大半のお家に連絡がつき家具が倒れたり家が傾いたりはしていても、皆さん無事を確認出来てホッとしたのを覚えています。
しかしそんな電話も固定電話は7時30分過ぎくらいから不通になってしまい、一切の発着信が加西市でもできなくなってしまいました。幸いにして私は当時はまだ珍しかった携帯電話を持っていたので、携帯電話を持っている人とはそれなりに連絡を取り合う事が出来たのを覚えています。

神戸の友人や仲間の元に通いながら目にした光景

その様な中で、震災の起こった当日の夜から、私は神戸に夜な夜な通う様になりました。今ではそんなことをしては復旧の妨げになるので絶対にいけない事ですが、その当時はまだ震災後どの様にするべきかという事が確立されておらず、自衛隊も出動準備はできているのに、そういう依頼も許可もどうしたらよいのかみんながわかっていないというそんな時代でした。

そんな中で私は、水が出ない食べ物もないということを仲間や友人から聞いていたので、震災直後は加西市のホームセンターでまだ救援に必要な品が売られており買えたので、20Lのポリタンクや、100Lとか150Lの蓋つきの大型バケツ、そして10Lくらいのごみ袋などを買い求めるとともに、カセットコンロやカセットボンベ、小型の鍋などを買い込んで、神戸の友人や仲間で水や食べるものが無くて困っているお家に届ける事が出来る様に、お昼間はご飯を炊いておにぎりを作り、水をポリタンクやごみ袋に入れ、夜な夜な神戸に行っていたのです。

震災直後の神戸の街は倒壊した家が道をふさいでいたり、道が陥没したりひび割れたりしていたりして、あらゆるところが通行できないので、通行できる道も大渋滞で一晩の間に2軒から3軒行くことが出来る程度でもの凄く大変でした。

その様な中で可能な限り夜中に神戸に行っていたのですが、神戸の被災の現場はもう地獄のような光景でした。
映像などで取り上げられて皆さんよくご存じの阪神高速の倒壊した現場は、なんでこんな事が起こるのかという身の毛もよだつ恐怖しか感じなかったです。神戸の都心部に入ったら、その大部分の匂いは家を解体している現場などで感じるあの臭いなんです。そう、倒壊した家の臭いなんです。そして東灘や長田などのエリアに近づくと焦げたというか焼けた臭いに包まれていて、火事で燃えた臭いに支配されていました。

なので私は、毎年1月17日に取り上げられる震災関連のニュースや報道を一切見ないようにしています。とはいえSNSや何かしらでチラリと目にすることはありますが、出来る限り目にしないようにしています。
というのも当時のニュース映像を見ると、あの時の神戸で起こっていた音や匂いというようなものがリアルに脳裏に蘇ってきて、ものすごくしんどくなってしまうからです。

人はあまりにも無力であり、人の命は簡単に消えてしまう事を目の当たりにした日

特に長田では倒壊した家の中に家族の人が閉じ込められていて、家の外でご家族が「助けて!!」と気が狂ったように叫ばれていたり、お家の中から「痛いよ~」とかうめき声が聞こえていて、みんなで力を合わせても、人の力では何もできないという状況があちらこちらにありました。
そして火事の火が燃え移って行って、倒壊した家に取り残されている方がまだ生きておられるのに燃えてしまい、悲鳴などという言葉では言い表すことが出来ない ”声” というよりは ”音” を発しながら亡くなられていく状況を目の当たりにすると、こんなにも人は無力なんだという事を思い知らされましたし、あの地獄絵図は今も私の目や耳に残っていて、29年経った現在も震災の時の映像を見ると当時のそういう事が一気に蘇ってくるので、私は見ないようにしているのです。
ごめんなさい。。これ書きながらもちょっと気分が悪くなってきましたので、この件はこれまでに。

一日も早く旧に復することが出来るように、私たちもできる事をしたいと思います

天災はいつどこに来るかはわかりません。特に日本に住んでいる限り、地震と台風は避けては通ることが出来ません。1月1日の能登半島の震災も、ニュースなどを見ていますとまだまだ大変な状況の中に現地の皆さんはおられます。
阪神淡路大震災から29年経っても、全ての事が完全に元に戻るという事は出来ていません。そしてそれは人々の心も同じです。この度の能登半島の震災からの復興も大変なことだと思いますが、傷ついた心が休まる状態になるのも長い時間がかかるのだろうなと思います。
そう考えると全てが完全に元通りになるなんてことは無いのかもしれませんが、一日も早く日常が戻るように祈念するばかりですし、寄付など出来る事は出来る範囲で行なってゆきたいなと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。