基本の「型」は大切ですが、○○でなければイケナイという風に盲目に囚われてしまうと、本質が見えなくなってしまいます

こんばんは。内藤正風です。

今週末は色々な予定があるので、気ぜわしい週末というか何となくバタバタとした1日を送っています。

いけばなのお稽古は型から学びます

いけばなのお稽古は「基本」と呼ばれる「型」からお稽古をスタートしますが、それにはちゃんとした理由があります。
それは自由にしてご覧って言われたら困るからです。

分かりやすい様に、いけばなではなく車の運転を例に挙げてみましょう。
これまでに車やオートバイなどの運転をしたことの無い人が、「とりあえず運転してご覧」って言われたら困りますよね。だって全く分からない事をとにかくやってご覧って言われても、なにをどうしたら良いのかすらわからないのですから。
なのでそんなときには、基本的な操作をまず教わって、それから真似をしながら自分でやってみるってステップを進んでいったほうが安心だし分かりやすいですよね。

なのでいけばなも、最初の入り口は基本的な「型」と呼ばれるものから学んでいただくようになっているのです。

「型」を学んだら、自分なりに

ただしここで注意が必要なのは「型」にがんじがらめになるのではなく、自分なりに変化応用してゆく必要もあるという事です。

車の運転も、教習所とかで学び免許を取得した後は、日ごろ車に乗っている中で自分なりにより日常に即した形で車を運転するようになりますよね。
すなわちそれは、教習所や免許試験場で学ぶ運転は、いうなれば免許制度の決まりに基づいて考えられたテストに受かるための要素があるという事だからです。

法令を守るという事や安全運転の基本は大切にしながら日常に即した応用をしてこそ、よりスムーズで疲れない運転をすることが出来る様になるという事です。
ちなみにこれっていけばなでも同じことが言えるのです。

「型」に囚われるから、本質が見えなくなってしまう

特にいけばなを学ばれている人の中には「型」に必要以上にこだわる人がおられます。そんな時って日本人って真面目だな~って思います。
ちなみに私ども光風流のいけばなにおける「型」の位置づけは、お花を生ける行動を制限する外枠ではなく、逆に「型」を核として行動の範囲を広げるためのものになっています。

すなわち「型」を学ぶ事を通じて、何故その「型」が定められているのかという「本質」を学ぶことが大切なのです。
「本質」を理解するから行動が自由になるし、自由なんだけれども大きな間違いを起さなくなってゆくことが出来るのです。

目の前で繰り広げられている事は単なる事象です。
いうなれば植物の枝葉なのです。枝葉は風が吹けば揺れ、冬になれば葉を落とすように常に姿を変えています。そこには物事の本質は無いのです。

ではどこを見ればよいのかというと、枝葉から目を移して太い枝を見たり幹に目を移しながら、根元や根っこに目を移すように意識すれば、本質を感じる事が出来るようになります。

いけばなをしていて感じるのは、世の中の全ての事柄は何事によらず、目に見えるものに囚われないことが1番大切なんだな~と私は思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。