孔子が「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」と言っている様に、如何に楽しむか、楽しんで頂く事が出来るか、こそが大切なのだと思います
こんばんは。内藤正風です。
昨日は神戸教室、今日は本部いけばな教室で皆さんにガッツリとお稽古を楽しんで頂きました。
ちなみに楽しむって言っても「楽をする」という事ではないですよ。楽の先に楽しいはありませんので。。
辛い思いやしんどい思いなんてしても”いけばな”は上達しません
私はいけばなのお稽古は、しんどい思いをしても上達なんてしないと思っています。
お坊さんだったら肉体的にも精神的にも追い込んだ修行をする事によって、他の人以上のレベルに到達できるというような事があるかもしれません。
しかし ”いけばな” は、痛い思いをしたり、辛い思いをしたり、空腹を我慢したり、暑さや寒さを我慢しても上達する事なんて絶対にありません。ハッキリと断言できます!!!
なんなら、お腹空いているのにお稽古していても身が入りません。寒くて仕方ない場所でお稽古しても手はかじかんで動かなくなっちゃうし、覚えが悪くなるだけです。
だったら楽しくて、教室に来ている時に1回でも沢山笑顔になれた方が絶対にいいと思うんです。
楽しむ事こそが上達の近道です
孔子の論語にも「子曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。
私は家元だからって難しい顔をして座っている事に何の価値も感じないです。だっておっさんが難しい顔して座っていたら面倒くさくて鬱陶しいだけなんですから。
家元だから難しげなことを言って賢そうに見せないとイケナイなんて事も思わないです。だって簡単な事をさも難しい事のように言うのはとても簡単です。しかし全ての事柄を簡単に言うのは本当に理解していないと出来ないことなのですから。
楽しいから、そして好きだから、色んな事にチャレンジして成長が生まれるのです
楽しい場がそこにあり、そして楽しいからこそ好きになるのでしょうし、好きになったからこそ新しい事にチャレンジしようと思う様になると思うのです。
そうなれば、ステップアップするためのお稽古も達成感を感じることが出来る楽しい機会になるでしょうし、作品を作り上げるときの生みの苦しみも自分の作品が完成したときには満足感を味わう事が出来るようになるのです。
そう考えたらお稽古の入り口は「楽しい」からのスタートであるべきだと思いますし、論語のごとく先ずは好きになって頂く、そして楽しんでいただく事こそが私が家元としてするべき事なのだと思うのです。
さあ、って事で、また明日からお稽古に来られている皆さんに楽しんで頂きますよ~!!
内藤正風PROFILE
-
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。