私達が大切にしないといけないのは手法を守ろうとする事ではなく、本質をいかに守り伝えてゆくのかにこそあるのだと思います

こんにちは、内藤正風です。

今日から「年賀特別郵便」の取り扱いが始まりましたね。うん、「年賀特別郵便の取り扱い」ってなんやねんって感じですよね。ようするに年賀状の発送の受付が始まったってことですね。
今日から12月28日までに発送すれば、元日に届きますよ~ってことですね。

手法は時代とともに変わる

12月8日に日本郵便がLINEと組んだ新しいサービス「スマートねんが」を始めましたよね。一言でいうならば、LINE上で年賀状に関する、購入・作成・送付・受取・保存が全部出来ちゃうって感じです。

ちなみに年賀状って明治以降に始まった年賀の1つの方法で、戦後の高度成長時代からバブルのころに一気に枚数が増えてゆきました。
年始のご挨拶に伺う事が出来ない方にお手紙をお送りするという事は平安時代よりされていたといいますから、その意味では歴史は古いのでしょうが、年賀はがきという方法がこんなに広まったのは高度成長時代からバブルのころという事ですから、景気の良さや使える経費が沢山あったという事がその後押しをしていたのは間違いのない事だと思います。

しかし今やメールやSNSなどが日常のライフラインとなっていますし、そんな中で給料が上がらない今の日本において、わざわざ年賀はがきを出そうという人は極めて少数派になってしまっているのは現状だと思います。

ま、時代と共に世の価値観は変化し、それに合わせて手法も変化してゆくのは仕方のない事だと思います。

手法にこだわると本質を見失います

年賀状の大切な事って何でしょう。
それはすなわち、お世話になった方への”礼敬”だと私は思います。

例えば1番分かりやすいあかん例は、お金がある(ゆとりがある)からお世話になったお礼の挨拶に伺おう。お金がない(ゆとりがない)から、お礼の挨拶には伺わないでいいやん。ってことだと思います。
お世話になっている方へのご挨拶は、お金のあるなしやゆとりのあるなしで、するとかしないとかを考える様なものではないですよね。
これ、お金や物を持っていくという手法や、ある程度以上の金額の金品でないと格好がつかないというような対面にこだわっているから、こんなおかしなことになっちゃっているのです。
だって、お金が無くても(ゆとりが無くても)、ご挨拶にお伺いして心を込めて感謝をお伝えするってできるのですから。

上辺だけの取って付けたような行動は不要な時代に入っている

この様にして考えると日本もワンステップレベルアップして、上辺だけの取って付けたような行動は不要だとみんなが思う様になってきたのだと思います。

いけばなも戦後からバブル期くらいまでにもてはやされていた、取って付けたような花嫁修業や嫁入り道具的な位置づけの師範免状というような価値観は今では無くなり、現在お稽古にお越しになられている方の大半は、自分を内面から高め日常生活やお仕事に役立つ学びを得たいと思われている人になってきています。
同じように年賀状も、世の中の皆さんの価値観の変化によって、その役割が以前とは変わってきているのだと思います。

時代は移り変わるものです。そしてその中で手法は常に変化してゆくのが当然です。
そんな中で私たちが大切にしないといけないのは、手法を守ろうとするのではなく、本質として大切にしなければならない事をいかに守り伝えてゆくのかという事にこそあるのだと思います。

 

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。