目の前で行なわれている事に目を奪われてしまうと、目的や本質を見失ってしまいます

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

今日は朝から晩まで、光風流本部いけばな教室でお稽古三昧の1日です。
そんな中、役員の先生とお話をさせて頂きながら「これ有るアルな事だよなぁ」と改めて思う事があったので、今日はそんな事についてブログを書きたいと思います。

昔の人は、良い事や本質を突いた言葉を残している

能力のあまり高くない人ほど忙しく見え、能力の高い人ほど忙しく見えない。
能力の低い人ほど自分を忙しく見せたり大人物に見せようとし、能力の高い人ほど自分を普通に見せている。
能力の低い人は物事を難しく見せ、能力の高い人は物事を簡単に見せる。

昔から言われるこれらの話は、本当にその通りだなぁと思います。私の経験などまだまだ未熟なものですから私の感じていることが間違っているかもしれませんが、今のところ、これら古くから言われている事は納得する事ばかりです。

昔の人はその経験の積み重ねから、本質を突いた言葉を沢山残してくれているなあと思います。

目の前で繰り広げられている事に目を捕らわれると、一番大切なものを見落とす

その様な中で、最近特に度々感じることがあります。それは「目の前で繰り広げられている事は現象であり本質ではない」という事です。
人間はついつい身近に起こっていることに目が行きがちです。しかし目に見えている事は、原因が他にあって起こっている現象でしかないんですよね。

たとえば何か改善してほしい事があり、お話をしたときに「はい!わかりました!!」って言っていても、ちゃんと理解が出来ていなければ行動は改まりません。
もぐらたたきの機械もまさにそうですよね。いくら叩いても叩いても順番にモグラは顔を出します。モグラが顔を出さないようにするためにはモグラを見るのではなく、大元のコンセントを探して抜かないとモグラは止まらないです。

目の前で起こっていることについつい目が行ったり、その起こっていることで一喜一憂してしまいがちですが、その大元は全く別のところにあるという事なのです。

目的に目をやることが出来れば、自分のなすべきことが見えてくる

目的というのは、目前にはありません。遠く離れたところにあります。たとえば山登りがそうです。目的は「○○山の頂上を目指す」です。

そんな中、その登ろうとしている人の体力や技量に合わせて、ルートを選ぶのが手法です。高い体力と知識と技術を持っていれば最短距離で頂上を目指すことが出来るとか、体力にあまり自信が無いならば、距離は長くなっても危険が低く頂上を目指すことが出来るルートを選ぶというような感じです。
お分かり頂けますでしょうか。通るルートや手法は違っても、目指しているところは同じなのです。

そしてこの登山をしているときに、前を歩いている人の背中ばっかり見ていたのでは、今何がどうなっているのか分からないですし、これからどんなことが起こるかを感じる事すらできなくなってしまいます。
なので、前を歩いている人の背中を視野に入れながら、目的地である頂上はしっかりと見続けていかなければならないのです。

同じ目標を見ていれば、道を外れる事はありません

目の前で繰り広げられている事は、ほとんどが手法です。手法はバタバタとよく目立つのでつい目を奪われがちになりますが、そこに目指すべき本質たるものは無いのです。

何事をするにあたっても、目標をしっかりと理解し、その目標から目を外さず、そこに向かって一心に進んでゆくことが大切だと私は思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。