「過ぎてしまえば全てがみな美しい」というけれど、過ぎたことを懐かしむのは当事者から一歩離れた状態に意識がなっているという事です
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おはようございます、内藤正風です。
今日のBlogは、現在開催中の「兵庫県いけばな展」の会場にある控室で書いています。
もちろん光風流の先生方は手直し中です。
過ぎてしまえば全てがみな美しいというけれど
先週の水曜日の生け込みからスタートしたときには。「あ~これから1週間。。長いなぁ。。。」と思っていましたが、本展も今日と明日の2日となると、「もう1週間が経とうとしているのか~」と思う様になってきます。
特に今回は、春のいけばな神戸展が緊急事態宣言で後期が中止となり、その後8月からの緊急事態宣言で9月も丸々いけばな展が無かったので、1週間会場で立って過ごすのが結構きつくて、腰にシップを貼って何とか乗り越えたって感じなので余計にそう感じるのかもしれません。
「過ぎてしまえばみな美しい」と昔からの言葉にあるように、まさにそんな感じだと思います。
しかしこの「過ぎてしまえば。。」って、よくよく考えると危ない側面が含まれているなあと私は思うのです。
過ぎたことを懐かしむのは、一歩離れた状態に意識がなっているという事です
どんな事も過ぎてしまったらすべてが懐かしい思い出になります。うまく行ったことも計画通りにならなかったことも、全てがです。
懐かしい思い出は人生の宝物でもありますから、そのこと自体は素晴らしい事だと思います。
しかし懐かしい思い出になっているという事は、もう過去の事になってしまっており、そのことについてトライ&エラーを繰り返している真っ最中という意識からは離れているという事に他ならないのです。
すなわち当事者真っただ中という意識ではなく、一歩離れた状態に意識がなってしまっているという事なのです。
積み重ねた経験をどう生かすかが無ければ進歩はない
経験をどのようにして積み重ね、そしてそこで得た学びをどのようにフィードバックし次に生かすかが無ければ進歩はありません。
たとえばいけばな展で例を挙げるならば、搬入のときに資材の分量のわりに人手が不足していたという事例があったならば、どの部分に人手が不足していたのか、何人くらい不足していたのかという事について検証し、これからどうするべきなのかを考えておく必要があるという事です。
「あ~搬入するときに人手が足りなくて苦労したけれど、何とかなって良かった良かった。。。」ではいけないという事です。
今日はどんな学びや気付きがあったのか
計画通りになったのはどこですか。そしてそれはなぜ計画通りになったのでしょう。
思ったようにならなかったのはどこですか。ではそれは何が原因で思う様にならなかったのでしょう。
わたしはこういう思考こそが、次に進む原動力になると思っています。
自分で自分を検証することこそが、次の一歩や一手を生み出すきっかけになるし、自分を成長させてくれるのです。
その意味では、学びや気付きは得るものではなく見つけ出すものなのかなぁと思います。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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