マニュアル化の効果とマニュアル化による弊害について考えながら思った、人は考える葦であるという事
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
今日、光風流の役員の先生とLINEのやり取りをしていて、「何でもかんでも事細かに支持をしていると人は育たない」という事について改めて考える機会になったので、そんな事について自己反省も込めてブログを書きたいと思います。
直ぐに ”マニュアル化” しようとする弊害
今、私が感じている「良かれと思って行なっていることが、まるっきり弊害にしかなっていない」という事があります。それは、何でもかんでもマニュアル化しようとする事です。
マニュアル化って、それだけ聞くととても良い事のように思います。がしかし私は、人の成長には弊害の側面の方が圧倒的に多いと思っています。
マニュアルに従うという事は誰が行なっても一定の成果を出すことが出来るという側面はありますが、逆に言うと、一定の成果以上の成果は絶対に期待できないし、突発事項には対処対応できないという事に他ならないのです。
そしてその結果どういう人が育つのかというと、指示されなければ動くことが出来ない無能な人間を大量に生み出してしまう事になってしまうと思うのです。
未経験者には有効なマニュアルも、幹部には弊害しか生み出さない
とはいえ、マニュアルに全く何の価値もないとは思っていません。全く何もわかっていない人や未経験の人に一定の成果を求める場合には大きな役割を果たすと思います。
例えば、挨拶すら出来ない人や接客をしたことのない人に「お客様が来られお店の玄関から中に入られたら、いらっしゃいませこちらへどうぞ、と声掛けをする」というマニュアルはとても有効だと思います。
がしかしそういうマニュアルに書かれているようなことを自ら出来る人や、幹部と呼ばれるような人に「このマニュアルの通りに行動してください」と言うと、とにかくマニュアルに書かれている事しか行わなくなってしまう恐れが生まれてきます。
つまり、何も考えない。あるいは、人から指示されなければ動かなくなってしまう。という状況が生まれてしまうのです。
人は考える葦である Byブーレ・パスカル
フランスの哲学者ブーレ・パスカルの言葉に「人間は考える葦である」というものがありますが、正にその通りだと思います。
人間は自然の中で最も弱い存在です。つまり、植物は切られても新しい芽をつけますし、切り取った先の枝も土に挿しておけば根をつけます。動物は厳しい自然環境の中で生き残ってゆきます。そのように考えてゆくと人間は植物の中でも弱い存在である葦と同じだと言っているのです。
ただその中で葦と違っているのは、考える事によって人は自分の価値を生み出すことが出来るし、自分以外の人や物に貢献することが出来る存在であると言っているのです。
人に指示されなければ何も出来なかったり、考えることをしなくなってしまっては、人と言えなくなってしまいます。とはいえ、未経験なので解らないという場合はありますので、光風流に当てはめて言うのならば、幹部は自分で考えることを忘れてはいけないし、自分で考えてその場に必要とされている行動を起こす事をしなければならないと、私は思うのです。
光風流の幹部の先生方で、家から出掛けてくるときに脳みそを取り外してこられている人にならば、1から10まで1つ1つ指示もさせて頂きます。がしかし、脳みそが頭の中に入っているのならば、これまでの経験に基づいてしっかりと考え、判断し、行動を起こしていただきたくことを私は望んでいます。
内藤正風PROFILE

-
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。