目の前で起こっていることは全てただの事象でしかないのです。その本質を見極め「なぜその事が起こったのか」を考えないと同じことが繰り返されるだけです

こんばんは、内藤正風です。

今日は久しぶりに兵庫県いけばな協会の会議がありました。
新型コロナの感染予防に気を配り、一体どれほどの大所帯やねんって思うような広い部屋で会議を行なってきました。

こんな風にガラ~ンってした部屋も、普通に感じてきてしまっている自分を見て、慣れって怖いなぁって改めて思います。
だって今後3人掛けの会議机に3人で座らされたら、「狭っ!!」「近っ!!!」って絶対に思うだろうし、ストレスを凄く感じるんだろうなって思います。

目の前で起こっている事は物事の本質ではない

3人掛けの会議机に3人で座らされて、「狭っ!!」「近っ!!!」って思うのは、狭いとか近いってことが原因なのではないんですよね。
これって実は私の空間的な贅沢レベルが高くなったってことに原因があるのです。

だって以前は、3人掛けの会議机に3人で座るのが普通だったし、電車やバスに乗ったら横に全然知らない人が座るのが普通だったのですから。
それがこの新型コロナの感染予防で安全な距離をとるって言うのがスタンダードになった事により、空間的な贅沢感が変化したってことが全ての大元なんですよね。

すなわち目の前で起こっている事象に目を捕らわれていると、本質を見逃してしまうという事なのです。

事象に目を向けてしまうと、もぐらたたきの様になってしまう

物事は本質を考えるようにすると、凄く単純になってゆきます。
これは植物と同じだと思うのです。
根っこはひとつだけれど、先に行くほど枝分かれして広がってゆくし複雑になってゆきます。なので枝先や幹をいくら見ていても根っこがどうなっているのかなんて分からないのと同じです。

そして事象だけに目を捕らわれていると、もぐらたたきの様になってしまいます。すなわち起こった事象に対応する、また起こった事象に対応するって感じで、後手後手に回るようになってしまい、振り回されてしまわないといけなくなっちゃうのです。

なぜこうなるのか、なぜこの事象が起こっているのか、それを考える

人間どうしても目の前で起こっていることに、捕らわれてしまいます。そして一喜一憂してしまいがちです。
しかしそれは、もの凄く無駄な労力を費やしながらほとんど成果を生み出すことが出来ないという結果になってしまいます。

全ての事象には理由があります。意味もなく起こっていることはこの世には何1つないのです。
人間が寝ていてかくイビキにも理由があります。草が生えて来るのにも理由があります。カッコよく見せたいと思う事にも理由があります。誰かが人の悪口を言うのも理由があります。月が満ち欠けするのにも理由があります。

目の前で起こっている事は物事の本質ではありません。その大元は別のところにあるのです。
何故その事象が起こっているのかという事に目を向け考える習慣を身につけると、無意味に怒ったりハラハラドキドキしたりぬか喜びになったりしなくて済むようになります。

そんな事をふと思った会議の時間でした。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。