母の命日に思う、子供は親を選んで生まれてきているということと、その環境や体験の全ては人格形成のための肥やしであるということ

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

今日は朝から、兵庫県いけばな協会の役員会があり、午後からもバタバタうろうろとしている空き時間にブログを書いています。

母の命日に、全ては必然だしだからこそ今があるのだと思う

今日は私の母の命日です。私が15歳になる年に亡くなりましたので、もう47年になります。
はやっ。。もうそんなに経つんですね。そりゃ歳取るはずです。(笑)

私が母を15歳で亡くしたという話をすると大半の方が、「苦労されたのですね」とか「大変だったですね」とかおっしゃられるのですが、自分的にはそんな思い全くないんです。だって、母親が長生きしている生活をしたことがないので比べようもないですし、自分の歩んできた人生が基準でありそれが普通なので、ことさらに苦労したとか大変だったと思うということも無いのです。

ただ1つハッキリと言えるのは、私が15歳の時に母が亡くなるということがあったから、今の私があるということです。言うなれば私の人生にとって「必然」だったという事です。

子供は親を選んでこの世に生まれてきている

「子供は親を選べない」という話と、「子供は親を選んで生まれてきている」という話を耳にしますが、私は「子供は親を選んで生まれてきている」と思います。とはいえ、生まれる前の記憶が私に有ってそう断言しているという事ではありません。生まれる前の記憶どころか、さっき見た夢すら忘れてしまう私なのですから。(笑)

ただ私は、両親の子供に産んでもらえてよかったと思っていますし、いけばなの家に生まれてよかったと思っています。若い頃にはそんなことなんて全く思ったこともないですが、歳を重ねるごとにその思いは強くなっています。
なのでもし、もう一度生まれ変わるならば、この両親の元に、そしてこの家に生まれたいなぁと思います。

全ては人生の肥やしとして人格形成に役立っている

不平不満を言えばキリがないと思うのです。母親は病弱で。。。母親が早く亡くなった。。。けれどそんな全てが、今の私の人格形成に役立っているのです。
あっ、私の人格なんて大したもんじゃないですよ。周りの皆さんの足元にも及ばないレベルです。
そんな私でも、どうにかこうにか今日まで生きてくることができたのは、母が病弱だったり早くに亡くなったと言う経験があり、その事からほかの方が経験する事のない様々な思いや刺激や学びや気づきを、得ることができたからなのだと思うのです。

母親が元気で長生きしていたら、私は本当にどうしようもないアカンタレのまま大人になっていたのかもしれないです。そう思うと自分に起こっていることは、全てが肥やしになっているんだなぁと思うのです。
とはいえ
何を言っても、私が出来の悪い息子なのは間違いのないことなんで、両親だけではなく私の周りの皆さんも助けられて今日の日を迎えることが出来ているのも間違いのない事実だと思います。
という事で、こんな私ですが、これからもお付き合いのほどどうぞ宜しくお願い致します。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。