お盆が先祖に想いを馳せるキッカケとして機能しているのを見ていると、「形」や「節目」が持つ意味を改めて考える機会になりました

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

今日は午前中にお坊様がお盆のお参りにお越しくださいました。

うちのお盆は、8月までに終わります

この辺りでは一般的にお盆は8月13日~15日が多いと思います。地域によっては8月7日に七日盆としてお祀りされるところもあります。
そんな中、うちは7月31日にお盆は終わっちゃいます。あっ、お盆の期間は終わってはいませんね。お盆に関連する私共のもろもろが終わるという事です。8月にも入っていませんがお盆終了です。(笑)

ではなぜそんな日に終わっちゃうかというと、毎年7月31日にお寺さんのお参りがあるからです。

以前は8月7日の七日盆のお参りでした

10年くらい前までは毎年8月7日にお参りしてくださっていたのですが、お寺の都合で7月31日に変わって以来、毎年7月31日がお盆の棚経となりました。
まあ結論から言えば、私はいつでもいいんで何の問題もなしです。なんなら早くに片付いて良いくらいの感覚です。
だって仏壇やお墓の前で手を合わはしますが、殊更に敬虔な仏教徒でもありませんし、困った時の神頼みや仏頼みはしない私ですので、どうでもよくはないですが、日程などはどっちでも良いとは思っています。(笑)

とりあえずご先祖様のお祀りはしているという事で、無くなった両親も「まあしゃあないなぁ~」くらいに思って苦笑いしている事と思います。

お盆もご先祖様に思いをはせる機会のひとつだと思います

私はお盆を殊更に特別な機会だとは思っていません。ではどんなふうに捉えているかというと、自分のご先祖様に思いをはせるキッカケの1つだと思っています。

お盆やお彼岸、あるいは命日など、「あ~今日はオヤジの命日だな~」とか「おふくろの命日だな~」、「お盆だな~」って風に特に両親に心を向け、この世に生んでくれたことや内藤の家に生んでくれたことなどを感謝する日かなって思っています。

なのでわたし的には、その機会の1つが7月であろうと8月であろうと、大した問題ではないんです。ってか全然問題ではないんです。

ってことで明日は午前中にお寺さんが棚経に来られるので、神妙な顔してお寺さんの後ろに座ってお参りしてきます。
けれど亡くなった両親からすると、私が神妙な顔して座っている姿を見てきっと笑っている事と思いますけどね。

心があればいいといいますが、形も大切だと思います

よく「心が大切だ」と言われます。確かにそれは間違いないと思いますが、しかし心があったら他は何でもよいのかというと、それは違うとも思います。
たとえば「先祖の事を大切に思っている」って言われている方が、お位牌をお菓子の空き箱とかに入れておられたらどう感じますか。「せめて棚や机の上に置くなどしてお祀りの形にしようよ」って思う方も多いでしょう。
あるいはどこかのお寺にお参りしたときに「由緒あるご本尊様です」と言われている仏像が、裏の藪の中に転がしてあったらどう感じられますか。

贅沢な事や華美な装飾を施したりはしなくてよいと思いますが、ある程度の形というか設えも大切にしたほうが良いなぁと思いますし、お花の1輪くらいは手向けてあったほうが良いのかなぁとも思います。
そんなことを思った令和6年のお盆の棚経でした。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。