身体の一部分を痛めて身体のバランスが崩れたことを通じて感じた、何事も微妙なバランスで成り立っており調和しているという事

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日のブログでは、いけばなの作品も身体もバランスが大切だなぁと思ったので、そんな事について書きたいと思います。

どこかが悪くなると痛感する、健康と元気のありがたさ

先週の頭から中ごろにかけて、左足のねん挫で足をついても上げても痛いという状態になって、杖が無いと歩けなくなっていました。一番酷い時期は杖をついても歩くのが困難で、四つん這いになってトイレとかに行っていました。
トイレなんて10歩か15歩ほどで到着できる距離なので、普段はそんなこと全く思わないのですが、歩けなくなるとトイレの遠い事遠い事。

健康な時には、普通に歩く事が出来る事についてなんて殊更に思う事もないですが、足をついて歩くことが困難な状態に自分自身がなってしまうと、元気な事や健康なことについて、改めてその有難さを痛感する機会になりました。

左の足首が悪いだけで、全身の調子がおかしくなっていました

そんな中、いつもお世話になっている「やまぐち整体院」の山口貴史さんに、左足首の様子と全身のメンテナンスを行なっていただきました。というのも、左足に荷重をかける事が出来なくなってビッコをひきながら歩いていたら、案の定というか、腰が痛くなってきちゃったのです。
腰は身体の要(かなめ)でもあるので、無理な体制で変な力をかけて歩いていたら絶対に腰に無理が掛かります。なので、こんな歩き方をしていて腰に来なかったらいいのになぁ。。って思っていたのですが、やっぱり腰痛が出てきたのです。

そこで施術をしてもらったのですが、その時に山口貴史さんより体を触るなりひとこと、「全身全てガッチガチになってますよ」って言われちゃいました。
左の足首の調子がおかしいだけで、腰だけにとどまらず全身にまで影響が出ていたのです。

身体もいけばなの作品も、全体のバランスで成り立っている

左の足首がおかしいだけなのに、全身に影響が及んでしまう。これ実は、いけばなの作品作りと同じなのです。

いけばなの作品は、全体のバランスで成り立っています。なので一部分を長くしたり短くした場合、その影響が他の部分に及んできますので、どこかを短くしたり、逆にどこかを長くしたり、あるいは働きを弱くしたり強くしたりする事によって全体の調和を図る必要があるのです。
なので良い枝ぶりの花材があるからと言って一部分だけを取り換えても、全体の調和を見出すことは出来ないですし、逆にバランスの崩れた作品になってしまうのです。

たぶんこれって、身体やいけばな作品だけの事ではなく、世の全ての事について同じことが言えるんだろうなと思います。
自分の身体の一部分を痛める事によって身体の調和が崩れる事を通じて、そんな事を改めて思う機会になりました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。