金田一晴彦氏の「言葉は時代と共に絶えず動いて変化する」という言葉と同じように、いけばなも時代と共に変化しているのです

こんばんは、内藤正風です。

昨夜はバレーボールに参加してきました。

とはいえ、バレーボールなんて中学や高校の授業でやった程度で、それ以降にしたの事ない私がこの歳で急にバレーボールなんてしたら、突き指するか筋痛めるか眼鏡壊すかくらいが関の山なので、昨夜は応援部隊に専念してきました。
いや~この時期の体育館って、ムッチャ寒かったですよ。。

寒い盛りに毎年旧正月を迎えます

今日は「旧正月」ですね。
旧正月については先日の私のBlogでも取り上げさせていただきましたので、もしまだお読みでなければこちら⇓⇓⇓からどうぞ。

「旧正月は私は関係ない」なんて思わずに、ハロウインやクリスマスのように自分から楽しむ機会にしちゃわないと勿体ないです

このBlogの中でも書きましたが、旧正月は毎年日が変わります。しかし旧正月がいつになろうとも、一つ共通していることが有ります。それは、旧正月は1年の中で一番寒い時期にあるという事です。

なので私は旧正月だと聞くと、もう1カ月もすると三寒四温で少しずつ暖かくなってくるんだなと感じます。

言葉は時代と共に使われ方が変化している

ところで先に書いた「三寒四温」の使い方は、本来の意味での使い方ではなく最近の意味での使い方になっているのをお気づきになられましたでしょうか。

本来「三寒四温」というのは、日本の冬は寒さの厳しい日が3日くらいと少し寒さが緩む日が4日くらい周期で繰り返してゆくという意味の言葉ですが、最近は「三寒四温」とは冬から春に向かって暖かくなってゆく様子を表す言葉として用いられることが多いので、今日はそんな使い方をしてみました。

といいますのも、日本語の権威として有名な金田一晴彦先生も「言葉は時代と共に絶えず動いて変化する」と仰られ、ら抜き言葉は無くならないしら抜き言葉になるのは自然な流れだと考えられていたように、私は言葉だけではなく世の全ての事柄は変化してゆくのが自然な流れだと考えるからです。

いけばなも時代の流れと共に移り変わっている

この世には変化しない物ってほとんどないのではないでしょうか。
服装や食べ物や髪型、住環境、法律、思考や好み、ありとあらゆるものが移り変わってゆきます。これはコロナ禍以降だけを見てもハッキリと皆さんお解りになられることだと思います。

いけばなも同じです。いけばなの役割や価値は時代と共に移り変わってゆきます。
例えばいけばなは床の間を背景に発展してきたと言われています。しかしこの床の間自体が時代と共に移り変わってきているのです。
現在一般のお家で新築されるときに床の間はほとんど見かけません。しかし戦後の高度成長時代からバブル期あたりまでは公団住宅にまで床の間が設けられていました。
そして戦前から明治期そして江戸期には地域の有力者やお金持ちのお家には床の間がありましたがそれ以外のお家には床の間はありませんでした。それ以前になると武家や貴族、神社やお寺などのようなごく一部でしか床の間を目にすることはありませんでした。
如何でしょう、時代が変われば環境1つとってもこんなにも大きく変化しており、この時代の変化の中でいけばなが現在も脈々と受け継がれているという事はすなわち、時代に合わせて変化してきているからこそだという事に他ならないのです。

今をシッカリと観察し、これからを考え、模索する事こそが、正しく変化する秘訣だと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。