「謙遜」は美徳ではないと思います。だって「謙遜」からは誰も笑顔にならないし幸せにならないのですから

こんばんは、内藤正風です。
今日は朝からあちらこちらにご挨拶に伺ったり、来年の事について打ち合わせを行なったり、事務を行なったりと、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

先日、先輩からの無茶ぶりを引き受けました

先日、いつもお世話になっている先輩の黄綬褒章受章のお祝い会があったのですが、開催の前日になってこの会を開催するためにお世話をしてくださっている発起人のお1人がどうしても身動きが出来ない事情が出来てしまい、「内藤、発起人代表挨拶を代わりにやってくれ」という指令が届きました。

あの。。。私。。。。。この会の事についてほとんど分かっていないのですが。。。。。。って先輩にお返事を返すと、「うん、わかったから内藤が私に変わってやって!」とのお返事。
ええ、世にいう正にこれが ”無茶ぶり” です。(笑)

けれどお引き受けさせて頂きました。
だって箸にも棒にもかからない人間には、たとえ無茶ぶりであってもそんなお話は来ないでしょ。満足は出来ないまでも、まあまあ仕方ないなぁくらいに思って頂けているからご依頼くださっているのだろうと思うので、謹んでお引き受けさせて頂きました。

私だけでは力不足ですので、来れなくなった先輩ご本人にも、画面を通してお話していただきました。

「謙遜」は本当に美徳なのか

日本には美徳として「謙遜」と言う文化があります。「私なんてまだまだ。。。」っていうアレですね。
この「謙遜」 の意味を調べてみたのですが、“自分の能力や価値などを低く評価すること” というような内容が辞書が違っても書かれていました。

以前より私は「謙遜って本当に美徳なんだろうか」と思っています。
その一番の理由は、光風流の師範の中でお友達などから「いけばな教えてほしい」って言われているのに「私なんてまだまだ。。。そんな教えるようなこと出来るようになっていません」って仰られている人を目にする機会があるからです。

これ、教えてほしいって言われている人にとっては、かなり悲しい事ですよね。
だって「私はあなたのお花が気に入ったので仲間に加わりたい」って言われているのに、「無理!!」って返事しているんですから、言われた方の立場になればショックですよね。
これ自分に置き換えて考えてみてください。こんな風に言われちゃったら良い気はしないと思うのです。

「謙遜」が美徳なのであるならば、誰かを悲しい気持ちにさせたり残念な思いをさせてしまうっておかしいと私は思うのです。

「謙遜」と「謙虚」と「卑下」

そんな事を思いながら辞書を見ていると、「私なんてまだまだ。。。」っていう意味の言葉って他にもある事に気付きます。

1つは「謙虚」
もう1つは「卑下」

「謙虚」の語意を調べてみると、“自分のことを下げて言う事はないけれど、控え目であり素直であること” というような意味が書かれていました。
そして「卑下」は、“自分を人より劣っているものとして、下にさげて言うこと” と言う意味が書かれています。

この3つの言葉ですが「私なんてまだまだ。。。」と言うニュアンスでありながら全く違う意味なんです。

「謙遜」は美徳ではない。「謙虚」こそが美徳だと思う

「謙遜」 は “自分の能力や価値などを低く評価する” という 意味ですから、これは絶対に美徳ではないと私は思います。

いけばなで例えるならば、まず自分にお花を教えてくださった先生に対して失礼ですよね。
「私は良い事は教えてもらっていないし、学びが身につくように教えてもらっていない」って言っているのと同じなんですから。
もちろん自分自身に対しても失礼です。
だってこれまでの人生の中で費やした時間やお金に対して「そんなにたくさんのことを学んでいないよ」って言っているんですから。

そして「卑下」は、“自分を人より劣っているものとして下にさげていう”という意味なんですから、こんなのは論外だと思うのです。

そして「謙虚」の意味ですが、“自分のことを下げて言う事はないけれど、控え目であり素直なこと” なんですから、この言葉と意味こそが日本人が古来より美徳とする姿に一番近いのではないかと思うのです。

過ぎたる「謙遜」は罪悪。「卑下」は犯罪に認定

「謙遜」も時には良い場面もあるかもしれません。しかし過ぎたる「謙遜」は罪悪だと思います。
だって謙遜をし過ぎることで、誰か1人でも幸せになるのでしょうか?逆にみんなが残念な思いや悲しい思いをしないといけないだけなんですから、そんなもの罪悪としか言いようがないと思うのです。

「卑下」に至っては、犯罪です。こういう行為は取り締まってもらいたいくらいです。卑下防止法違反とかなにか(笑)

「謙虚」に生きるからこそ、そこに「美」が備わる

「謙遜」も「卑下」も、その行為から周りの人が受ける印象は「奥ゆかしい人だな~」なんてほぼ誰も感じることは無いと思うのです。
逆に「あ~出来ない人なんだ」って思われてしまう事の方が多いんじゃないかと思います。
周りの皆さんに「まだまだな人なんだ。。」って思われ、友達も知り合いも家族も誰1人として笑顔にすることも出来ないし喜んでもらう事すらできない。何の意味もないですよね。

“自分のことを下げて言う事はないけれど、控え目で素直であること” 、これこそ凛とした日本人を体現することが出来るのではないでしょうか。

「謙遜」や「卑下」をせず、作品制作やお稽古や、なにかご依頼があった時には「素直」に受けさせていただき、自分の手柄は「控えめ」にしながら前を向いて歩んでゆく。
これこそ凛とした日本人の姿ではないでしょうか。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。