若い人を育てるという事における「学生割引」の趣旨には諸手をあげて賛同します。しかし流行りだからというような盲目的な行動には疑問を感じます

こんばんは。内藤正風です。

先日、光風流の幹部の先生方とお話しする機会があり、「学生割引」という事について改めて考える機会となりました。

いま世の中ではあらゆるところで「学生割引」という事が行なわれています。
むかし私が若いころには、通学定期と映画館くらいでしか「学割」なんて聞かなかったように思うのですが、いまやパソコンやソフトの購入、携帯の使用料、その他にもあらゆるところで日常的に目にするようになりました。

そんな中で、私たち光風流も「学生割引」という事について考えないといけないのではないだろうかという事です。

流行りに乗ったように「学生だからなんでも”割引”する」というのはおかしい

まず言っておきます。わたしは光風流において学生さんを優遇するという事に何の異論もありません。それどころか学生さんを色々な場面において優遇することによって、光風流の門戸を開いたり敷居を低くすることには大賛成です。

しかしここで私は1つ付け加えたいと思う事があります。それは、学生だからという理由だけで何でもかんでも割引きにする、あるいは今、世の中では学生割引が流行っているから学生割引をする、っていうのはおかしいと思っています。

だってそれは意図するところや目指しているものが無く、ただ盲目的に行動しているだけでしかないのですから。意味や価値のある割引きとは言えないと思うのです。

必要な費用を安くすると誰かがその負担を被らなければいけなくなる

必要な費用を安くするというのはおかしいと思うのです。
例えばお稽古の教材費、お花代、あるいは飲食代、旅行費用などです。
これらを安くするということは、誰かが変わってその費用負担をしなければならなくなるわけですから。

たとえば教材費。
お稽古に必要な本を先生が買い求められるときには定価だったものを、生徒さんに学割でお渡ししたら先生がその差額を負担しないといけないようになります。
お稽古に使うお花は、先生がお花屋さんに手配して下さっているのです。このお花代を学割でお渡しするという事は先生が差額を個人的に負担して下さっているってことですよね。

これらは先生に負担を押し付けているだけです。こんな割引をしても、そんなの絶対にだれも幸せになれないと思うんです。
いうなれば”学割強盗”ですよ。だって「学割」という名のもとに他人を不幸にしてゆくのですから。
なのでこういう費用は受益者負担であるのが基本だと思います。

若い人を大切にするというのは分かります。
いけばなの敷居を低くするようにというのも分かります。
でも学生を育成するために優遇するという大義名分のもと、誰かの懐に手を突っ込んでお金をむしり取るようなことまでして安くしないといけないことは無いと思うのです。

学生のためのシステム作りは必要だと思う

最初にも書きましたように、わたしは光風流において学生さんを優遇するという事に何の異論もありません。それどころか学生さんを色々な場面において優遇することによって、光風流の門戸を開いたり敷居を低くすることには大賛成です。
しかしそれは「学割」という手法ではなく、別の方法のほうが良いのではないかと思っています。

たとえば月謝やお礼などについては「学割」という考え方ではなく、その規定をちゃんと整備して学生さんのためのシステム作りをしたら良いと思います。
たとえば月謝が普通は10,000円ならば、未成年や学生は7,000円とかの様に、そういうコースというかシステムを作ったらいいと思うんです。割引きという事ではなくね。

盲目的な「割引」は、誰かに負担を押し付けたり本質を見失ってしまう危険がある

今の世の中、若い人を大切にしながら育てるという考え方が一般的です。
しかし盲目的な「学生割引」とかって考え方では、先にもすでに書いたように、割り引く=誰かが負担するってことになりかねない考え方だと思うのです。

しかもこの「学割」という名の”肩代わり”って質(たち)が悪いのは、負担してくれている人の顔が全く見えてこないってことなんです。
言い換えれば、割引かれて不足している金額の部分を、誰かの世話になっていると感じにくいのです。

例えば、講習会に参加するにあたり本当は会費1万円なんだけど学生割引で5千円ですって言ったら、その5千円安くなっていることについて、誰のお世話になっているのかなんて全く分からないです。
けれどこの5千円は誰かの世話になって安くなることは事実なんです。

なので私は、〇〇先生が五千円を肩代わりしてくださっている。って風にはっきりとわからないと、割引しても誰かのお世話になって安くしてもらうことが出来ているという事がおざなりになってしまうのではないかと思うのです。

感謝してほしいとか、有り難がってほしいとかなんて、全く思いません。
しかし誰かにお世話になったのならば、「お世話になって有難うございます」という感謝の気持ちくらいはちゃんと持ってもらうことが出来るように、「いけばな」を学んでいる若い人にはなってもらいたいのです。

お世話になったという事で人として成長すると共に人間関係を深めてほしい

”いけばな”は、たんにお花を綺麗に生ける事が出来ればそれでよいというものではないと私は思っています。
この学生割引についても、周りの皆さんに支えられたことによって「〇〇先生にお世話になったので年末のご挨拶に行こう」というような、そういう人として一番大切な考えを持ったり行動できるように、”いけばな”を通じて成長して頂きたいなぁと思います。

いま世の中は、正しい礼義や作法というようなことは二の次三の次になりがちの様に感じます。
しかし日本に古来より伝わる美徳や誇りというものを、しっかりと受け継がずまた大切にもせずに、今の時代に合わないと言って軽視するようなことは、絶対にあってはならないと思います。

古臭いこと言うねといわれるかもしれませんが、わたくし内藤はそう思うのです。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。