いけばなのお稽古で大切なのは「出来ること」より「成長すること」|「稽古」と「練習」は違う
ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
私にとって「いけばなの指導」という事は、日常の時間の中において大きな割合を占めています。そんなお稽古の指導をさせて頂いている中で、「残念な人だなぁ」と思うことが有ります。それは、作品の中の改善点を指摘させていただいても、改めようとなさらない方がたまに居られることです。
ちなみにこれ、次のお稽古までに直してこられない、という意味ではありません。そのお稽古の時に「ここを直しましょう」とお伝えしても、そこで直そうとなさらなかったり、直したような体を装われたりする方がおられるという意味です。
ちなみにそんな時に腹が立つという事は全くありません。だってその方自身が損をしているだけなのですから。なのでそういう時には逆に、「お稽古って、そもそも何をすることなんだろう」と、私自身が改めて考える機会になっています。
「稽古」という言葉
「稽古」という言葉の意味って、皆さんご存じですか。調べてみると次のように書かれています。
「稽古」は、もともと「古(いにしえ)を稽(かんが)える」という意味で、先人の教えや型を学ぶ事を通じて、その奥にある道理を深く研究するという事になります。
昔のことを考え、そこから物事を学ぶ。そう考えると、稽古というのは、ただ同じことを何度も繰り返すことではないんですよね。
教わった事を考える。自分でやってみる。出来なかったところを考える。そして、またやってみる。
そんなことを繰り返しながら、自分のものにするという事は、今の世に当てはめて役立つレベルに昇華させていくのが「稽古」に他ならないのです。
お稽古と練習は違う
稽古とよく似たというか、同じような意味に捉えがちな言葉に「練習」があります。
練習なら、自分一人でもできますよね。「自主練」って言葉もあるくらいですから。
学んだ事をもう一度やってみる。出来なかったことを、もう一度やってみる。何度も繰り返して、出来るようにしていく。
しかし、お稽古には先生がいます。
自分では「これでいい」と思っているところを先生に見ていただいて、「ここが違いますよ」「こうしてみましょう」と教えてもらう。そして、その場で実際に直してみる。
ここが、お稽古の大切なところだと思うのです。
もちろん、一度言われただけですぐに出来るようになるとは限りません。なんなら出来なくていいんです。
出来なかったら、先生にまた教えてもらう。そして、もう一度やってみる。
お分かりいただけますでしょうか。ここで大切なのは、「出来ないこと」と「やろうとしないこと」は全く別だという事です。
大切なのは、自分が成長しようとする事
先生に作品を見てもらった。指摘してもらった。それで終わりではありません。大切なのは、先生に指導してもらった事で、自分の何が変わったのかということです。
昨日まで出来なかったことが、今日は少し出来るようになった。前に教わったことが、今日は少し理解できた。
そういう小さな変化の積み重ねが、上達につながっていくのです。
何回お稽古に来たか。何年続けているか。それも大切ですが、それ以上に大切なのは、「そのお稽古で、自分が少しでも前に進んだかどうか」なのではないでしょうか。
先生に見てもらうためだけに、お稽古があるのではありません。教わった事を考え、自分でやってみて、出来なければまた教えてもらう。そうやって少しずつ習得すると共に、自分自身が少しずつ成長してゆく。それこそがお稽古に他ならないと私は思います。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。



