反省なんてするだけ無駄だと私は思っています。だって「反省だけなら猿でもできる」って言うじゃないですか
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
先日から色んな機会を通じて、私が感じている事があります。それは「反省って、それ自体はいくらしても意味がないよなぁ」という事です。
今日はそんなことについてブログを書きたいと思います。
「反省」って大切だと思われがちですが・・・
さて、イメージって怖いもので、世の多くの皆さんは何かイベントや事業などを行った後に「反省会」なるものを行なわれる方って多いですよね。
この反省会って、その行なったイベントや事業などの、悪かった点を見つけて次に結び付けようということで行われており、その趣旨自体は悪い事ではないと思います。
けれど実際に反省会で行われている事ってどうでしょう。
〇〇〇が悪かった。
〇〇〇が良くなかった。
〇〇〇で気付くべきだった。
〇〇〇は次への課題だ。
〇〇〇を克服しよう。
反省会っていうよりもダメ出しのオンパレードですよね。もう最悪の極みだと思います。
だってこんな感じの事をいくら取り上げ並べていっても、結局はこの反省会って機会が、反省する事自体が目標であり目的になってしまっていて、何の役にも立っていない事が多い様に私は感じるのです。
反省だけなら猿でも出来る
反省の本意は反省する事ではなく、課題を見つけ次にどう結び付けたり役立てるかという事にこそあります。なので反省に焦点が当たったり、反省が目的になっている行動には、みんなのテンションを下げるという、プラスどころかマイナスの効果しかないのです。
まさに昔一世を風靡した、村崎太郎次郎のコレ↓↓↓に他なりません。
反省だけなら猿にも出来る。
例えば、学校で悪い事したら反省文を書かせる。会社で何か問題を起こしたら始末書を書かせる。反省を表すために丸刈りにさせる。こんなの全部、反省しなさいって言っている側の自己満足じゃないですか。
ええ、私は学校で反省文なんて散々書かされてきました。丸刈りも何度もされました。けれどそんな反省の中で、今の私の役に立っているモノなんて1つもありません。あっ、こうやって話のネタにできるくらいには役立っていますが、それ以外にはありません。1mmもです。
何か間違ったことをして「申し訳ありませんでした。反省しています。以降気を付けます」なんていくら言ったり言われたりしても、そんな言葉には何の価値もないのです。だって本当に具合が悪かったと思ったのならば、その点を改善して、初めて反省したという事に他ならないのですから。
反省なんてするヒマが有るんだったら、もっと他にするべき事がある
もっというならば、反省する事を目的にした行動や思考には何の価値もないと思いますし、その先に明るい未来や可能性は何も生まれません。
そんな無意味な反省なんてするヒマあるんだったら、もっと他にできる事やするべきことがいくらでもあります。
次にこの経験を生かすにはどうしたらいいだろう。とか、もっと楽しくするにはどうしたら良いだろう。とか、そんなこと考えた方が、回を重ねるごとにレベルアップやステップアップすることが出来るし、全ての人が楽しくなると共にテンションもあがるし、もっともっと色んな事を自分から進んでやりたくなってくると思うのです。
もしかしたら、反省が大好きな人もおられるかもしれません。まあ言うなればマゾ体質とでもいうのでしょうか。そんな人は1人で他の方の迷惑にならない所でやっていてください。(笑)
少なくとも私は無意味な反省なんて、”する” のも嫌ですし ”される” のも嫌です。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。





