いけばなの作品作りと同じで、色々な個性が混ざり合うからこそ、魅力的なものが生まれる可能性があるのです
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
さて先日、ある場所でお話をしていて、「侘び寂び」という話になりました。
ちなみに「侘び寂び」って日本人みんなが耳にしたことがある言葉であり、日本を代表する価値観だと思います。しかし「侘び寂び」という言葉って、改めて簡単にそして明確に説明しろと言われると、出来にくい言葉の1つだなぁと私は感じています。
侘び寂びとは何か
私は「侘び寂び」って言葉には、ものすごく大きな意味があると思っています。それは単に日本を代表する価値観と言うような事に留まらず、これからの私たちが幸せな生活を送るために必要な要素や、お仕事を素敵に進めて行く為に必要な教えがあると思っているからなのです。
ちなみに『侘び寂び』をググると
わび・さび(侘・寂)は、日本の美意識の1つ。
一般的に、質素で静かなものを指す。
本来侘(わび)と寂(さび)は別の概念であるが、現代ではひとまとめにされて語られることが多い。
とあります。
美意識の一つ。質素で静かな物。しかしこれだけでは、簡潔すぎてよくわからないじゃないですか。これなぜなのかなぁと考えて見たのですが、この言葉はそもそも、単語としての意味というよりは「概念」を表すものであり、だからこそ言葉で説明しにくいのだと思っています。
ちなみにこの侘び寂びにの説明に、私なりにもう少し付け加えるならば、ここでいう「質素」とは、”寂しい” とか ”みすぼらしい” と言うようなものではないと捉えています。
すなわち、”寂しい” とか ”みすぼらしい” という様な「貧相」と理解するのではなく、「閑静」と言う意味で捉えるべきだと思うのです。つまりこの「閑静」と言うのは、そのものの持つ「特徴」を極限まで無駄な要素を取り去って生かすと言う事に他ならないと思うのです。
「見立て」から生まれる「特長」
ではこの「特徴」とは何かと言う事ですが、私は ”他の物や人と比べた時に、特に目立っていたり、他にはない要素” の事だと思います。この「特徴」をしっかりと見い出す事が「見立て」に他ならないですし、この見い出した「特徴」を活かす事が出来て初めて「特長」になると思うのです。
なので逆に「見立て」ができなかったり活かす事が出来なかった場合には、この「特徴」が「短所」となってしまいかねないという事でもあります。
いけばなでお花を生けようとするときに、皆さんまず最初に自分の価値観でココが良いって思うところを生かそうとされますよね。これは至極正しい事です。
しかしこの時の「ココが良い」という判断をされる基準が ”自分にとって都合がよい” になってしまう方がとても多いのも事実です。
自分の価値観や思考を超越したところにこそ、本来の「特徴」が備わっている。つまり特長とは、他にはないオンリーワンなのです。
なので往々にして、変だなぁと思うところ、嫌だなぁと思うところにこそ、その他にはないものが備わっているかもしれないということでもあるのです。
日本はそもそも「個を生かす」文化です
人と違うから、そこに価値があるのです。色んな個性が混ざり合うから、とても魅力的なものが生まれる可能性が出来るのです。そして、違う魅力が集まるから、大きな力を発揮する事ができるのです。
そしてこれは、「いけばな」も「いけばな作品」も「社会」も同じだと思います。
同じ形、同じ考え方、同じ力、同じ発想がいくら集まっても、そこに刺激は無いし、そんな中で化学反応は起こりません。短所に見えてしまっているのは、自分の力不足で特徴を生かせていないだけかもしれないのですから。
そんな事を改めて考える機会になりました。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。




