「名は体を表す、型は本質を象徴する」ということを私はとても大切なことだと思っています

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

最近「名は正しく名付け、型は正しく理解する事」の重要性を、度々感じる機会があります。以前はそんなことをあまり思わなかったのですが、年のせいなのか、あるいは世のスタンダードが以前とは違ってきているのか、正しく物事を後世に伝えるためには重要なことだと思うようになってきました。

光風流の新年会は、新年を寿ぐ会ではありません

色々な場面で「名は正しく名付け、型は正しく理解する事」の重要性を感じていますが、ちょうどシーズンですので光風流の新年会を例に挙げてお話を進めたいと思います。光風流では創流以来毎年「新年会」を開催しています。で、この新年会ですが、一般に皆さんが思われているものとは全くその性質というか位置付けが違っています。

一般に新年会とは、新年を寿ぎ関係各位が集い飲食をする会という風に捉えられているかと思います。なんなら、新年を理由に集まり飲食をするくらいに思っておられる方もあるかもしれません。
しかし光風流の新年会はその趣旨は全く違っています。どう違っているのかというと、光風流の新年会は、新年のご挨拶を行なうために開催をしているのです。

「光風流新年会」の役割は何か

いけばなでは「礼敬」という事を大切に考えます。光風流でも創流の時より、新年にさいしての挨拶を大切なことと考えています。
そのような中通常は、役員や高職許状をお持ちの皆さんは家元に新年の挨拶にお越しくださいます。また各支部の役員は年頭に当たり支部長に挨拶に伺われます。各教室の門弟は先生に挨拶に伺われます。しかしこれらをそれぞれに行うと、ものすごい労力と時間が必要になります。なのでそういう労力と時間が最小で済むように、流派で新年に際して挨拶の機会として設けているのが、光風流新年会になるのです。

名称でその趣旨が理解できることが大切

しかし最近では新年会をその名称から、ただの飲み食いをする機会だと理解してしまう方も増えてこられているようですので、”新年に際して挨拶をする機会” という事が伝わる名称に変更をしなければならないなぁと思っています。
「光風流お年始の会」「光風流賀詞の会」「光風流年始礼」
まだまだほかにもあると思うので色々な候補をあげてよく考えて決定し、令和7年の開催からその新しい名称に改正しようと思っています。

名は体を表す。型は本質を象徴する

光風流新年会を例に挙げながら、お話を進めてまいりましたが、名称を正しく付けるということの意味、あるいは “いけばな“には「型」があるわけですが、この型を正しく学び習得するということを、私たちは忘れてはいけないのだと思うのです。

日本語は漢字を用います。そしてこの感じには一文字一文字に意味があります。「型」と呼ばれるものも、その「型」が制定され時代の中で受け継がれてきたということは、その型自体に意味があるということに他ならないのです。
名は体を表す。そして型は本質を象徴している。ということをゆめゆめ疎かにするべきではないと私は思います。

 

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。