節目には「旬」があるし、折角の節目は自分の殻を破るキッカケにしないと勿体ない
こんにちは、内藤正風です。
先日光風流の役員の先生と「旬」という事について話す機会があったので、今日は「旬」という事についてブログを書きたいと思います。
で、そもそもなぜ「旬」という話をすることになったのかというと、光風流の一つの支部が今年周年を迎える事となったのですが、その記念事業を来年行なったらどうかという話から「旬」の話になったのです。
ちなみに光風流の事業年度と会計年度は1月1日から始まって12月31日に終わるものとなっていますので、その中で「周年」というと、該当する年度の1月1日から12月31日までがその期間という事になります。
節目には「旬」がある
という事で、まず周年って何かと考えてみると、積み重ねた年数による節目という事で、人間に置き換えて考えると誕生日とか賀寿という感じでしょうか。
そのなかでも節目に価値があるという事でいうならば、賀寿のほうがより近い意味になってくると思います。ちなみに私は昨年「還暦」となりましたので、還暦を記念したイベントやお食事会など色んなイベントを行ない記憶に残る1年とすることが出来ました。
ではこのイベントがなぜこんなにも盛り上がる事が出来たし面白がってもらう事が出来たのかというと、「還暦」の年だったからだと思うのです。
たとえば還暦の翌年にこれらのイベントを行なったらこんなにも盛り上がったり面白がってもらう事が出来たのかというと、たぶんそれは無いと思うのです。もし私が今年「還暦のイベントをします」って言ったら、「えっ、何言ってるの??」って全ての方の頭の中に「?????」ってはてなマークで一杯になっちゃうと思うのです。
なので節目の年にはおのずと期間が存在するようになるという事でありそれはすなわち「旬」があるという事だと思います。
旬は先取りの方が有難味がある
さて今度は「旬」という事について考えたいと思うのですが、私たちが行なっている「いけばな」はまさしく「旬」を楽しむモノだと思います。
2月にはウメ、3月にはモモ、4月にはサクラという様に、その季節季節を代表する植物があり、私たちは素材として扱います。
そういう中で例えばサクラを例に挙げると、町の中で咲き始める前に作品でサクラのほころんだ枝などを使うと、「うわ~もうすぐ春やね~」とか「うわ~サクラや~!!」ってもの凄く喜んでいただく事が出来ます。しかし街中が満開のサクラで満ち溢れてしまってからはサクラを作品で使っていても、ことさらに喜んでいただく事も無くなってしまいます。
なので「旬」というものは遅いよりも早いほうが皆さんに喜んでいただく事が出来るものなのだとも思います。
周年は重ねた歴史を寿ぐだけではなく、周年を理由にして新しいことに取組むきっかけにしないと勿体ない
わたしは「周年」という機会は、積み重ねてきた歴史を寿ぐという意味よりも、周年を理由にして新しいことに取組む機会にしたほうが前向きな成果に結びつけることが出来ると思っています。
すなわち、周年なので普段の時には行わない事だけれどもやってみよう!ってことです。
たとえば周年なのでいつもよりも規模を大きくしていけばな展を行なってみようとか、周年なので海外旅行に行こうとか、周年なので祝賀会を行なおうとか、何でもいいんです。日頃行なわないことに取組むきっかけや理由として周年という節目を生かして、その事によって新しい経験や学びを得る機会にすることが出来れば成長の一助とすることが出来るのですから。
自分の殻を破るのは自分自身です。折角の節目なのですから、自分の殻を破り成長する理由やきっかけにしないと勿体ないと思うのです。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。