本質を共有することが何よりも大切であり、そうする事によって様々な手法を見出すことができるようになるのです

こんばんは、内藤正風です。
昨日は大好きな仲間と一緒に、コロナの感染防止策も万全にしている私の大好きなお店にランチに行ってきました。

こんな時だからこそ如何に過ごすか

こんな時だからこそ、いかにして過ごすかが本当に大切だと私は思っています。
もちろん言うまでもなくコロナの感染防止に最大限の注意を払うのは言うまでもないことです。しかしだからと言って感染防止のために一歩も家から外へ出ないなんて、普通の生活を送っている限りそんなことは出来ないのですから。
お仕事がある、お買い物にも行かなければならない。。。

仮にそれらすべてをしなくてよかったとして、もし感染防止のために一歩も家から外へ出ずにいたらどうなるでしょう。多分そのことが原因で心が病んでしまったり身体が不調になってしまうと思うのです。
コロナに罹らずに身体や精神を病んでしまったら、本末転倒というか一事を見て万事を見ずになってしまい、一番大切なことが疎かになってしまうってことですよね。

だって今一番大切なのは、心も身体も健康にコロナ禍を乗り越えるということなのですから。

本質に目を向ける

今夜予定していた光風流の会議を延期することにしました。
今日、役員の先生と話をしていて、このまま予定通りに今夜会議を開催しても目指す目的を達成することができない感じなので、急遽ではありますが延期の決断をさせていただきました。
(準備してくださっていた役員の先生方ゴメンナサイ)

しかし私は間違った決断はしていないと思っております。なぜならハッキリと理由が明確だからです。
それは、会議を開催することが目的ではなく、役員の皆さん方に会議を通じて理解と認識を持っていただき、今後に向けての共通の認識を持っていただくことが目的だからです。

人はついつい目の前で繰り広げられていることに目を奪われがちになります。しかし目の前で繰り広げられていることは枝葉であって、そのもの自体の本質を表すものではない場合が多いのです。
まさに古来からのことばにある「木を見て森を見ず」であり「枝葉末節(しようまっせつ)」なのです。

目指すべきところが同じでも手法は沢山ある

目指すべきところとは、山に例えれば頂上です。
この頂上が目指すべき場所として全員の共通のものとなっていれば、手法なんてすべて違っていていいのです。

まっすぐに最短距離で目指す人。
ジグザクにルートをとって勾配があまり急にならないようにしながら登る人。
ヘリコプターを手配して頂上を目指す人。
これ全てが正解なのです。

そしてわたしが「手法が違っているほうが良い」と思うのには理由があります。それは、それぞれに見える景色が違うということです。
見える景色が違うというのはすなわち違う経験をしているということにほかなりません。
そんな多種多様な経験をしている人たちが集まるということは、それだけ発想が豊かになるし、違う経験をしている相手を認め合うことができるということでもあるのです。

「本質」を共有し、多方面からのアプローチができるようになることこそが一番大切だなぁと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。