「事始め」の準備が整った会場で感じた、恒例の行事やイベントは上辺だけを継承しても意味は無いと言うこと

こんばんは。内藤正風です。

いま私ども光風流本部いけばな教室には「事始め」の会場準備が行なわれています。

あとは12月13日の事始め当日、最終的な準備をすればOKです。

ところで「事始め」って聞くとほとんどの皆さんが、”いけばな”って古来からの行事が有るんだねーとか、古くさーー!!とか、めんどくさーーー!!!って印象を持たれるんじゃないかと思います。
確かに「事始め」は日本古来からの風習です。しかし「事始め」は単なる形骸化した行事として存在しているのではなく、節目として必要なイベントだと私は思っています。

そもそも「事始め」とは何か

「事始め」とは、この日から新年を迎える準備を始める日と言うことです。

ちなみにウイキペディア先生によると

正月事始め(しょうがつごとはじめ)とは、正月を迎える準備を始めること。かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われる。昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣があった。
江戸時代中期まで使われていた宣明暦では12月13日の二十七宿は必ず「鬼」になっており、鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、正月の年神様を迎えるのに良いとして、この日が選ばれた。その後の改暦で日付と二十七宿は同期しなくなったが、正月事始めの日付は12月13日のままとなった。

と書かれています。

まあようするに、大掃除とかも新年を迎える準備になるのでこの日以降にするって事です。なので12月13日の夕方のTVでは、神社仏閣の煤払いが行われたっていうニュースが毎年取り上げられています。

”古臭い” とか ”めんどくさい” と感じるのは、その行事の危険信号

古来からの行事っていうのは、伝統と言う名のもとに”古臭い”とか”めんどくさい”とか感じられる人も多いと思います。
確かに古くから続いている行事ではありますが、”古臭い” とか ”めんどくさい” とかっていうのは、その行事を開催する人によって変わってくることだと思いますので一概にそう言えるものではないと私は思います。
っていうか、私は1つの行事があった時に ”古臭い” とか ”めんどくさい” とかって感じるようになっているのは、今の時代の価値観に合せる事が出来ていないという現れ、すなわち危険信号だと思っています。

1つの行事があって、その行事がどんなに素晴らしくて意義があり価値ある存在であったとしても、誰も振り向いてくれなければその意義も価値も伝えることは出来ないですよね。
もっと言うならば、誰も来てくれなければ開催していないのと同じ事になっちゃうのです。

上辺だけを継承しても意味は無い

上辺ばかりを見てその部分だけをどんなに継承しても意味はありません。
その本質を理解し本質を大切にするためには、時代にあわせて変えるべきところはドンドン変革しなければただの形骸化した催しに成り下がってしまいます。

私は光風流の「事始め」も本質は大切にしながら、新しく取り入れるべき事や変革するべき事はドンドン行ってゆくべきだと思っています。

伝統は前に歩みを進めてゆかなければ途切れてしまいます。とにかく足を動かし続けて、たとえ半歩でもいいので前進することが大切なのです。
時代は常に移り変わってゆきます。と言うことはいつも変化することが生き残るためには絶対に必要不可欠な事だと言うことなのです。

結果は後からついてきます。間違えたらゴメンナサイ!!って謝ればいいんです。結果を恐れずにドンドン前に進んで行くことこそ生き残りに唯一必要な事だと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。