理解というのは機が熟さなければ本当の理解をすることはできないのです。それ以外の時は理解ではなく知ることができているだけなのです
こんばんは。内藤正風です。
今日から始まりました!「展覧会形式の勉強会」
今日明日明後日の3日間開催するのですが、初日の今日は会場に展示するモデル作品の幹部の先生方による制作と、その先生方を対象にした研究会を朝から先ほどまで行い、無事にDAY1終了しました。
会場の設営は自分達で行うのですが、先生方は手慣れたもので、私なんかよりよっぽど皆さんの方が手際よく作業を進めて行かれます。私なんかがその辺ウロウロしていたら「ウラウラ~邪魔だ邪魔だ~~」って感じです。
そんな今日行った研究会において「機が熟さなければ理解することができないことがある。」という事についてお話させて頂きました。
これって実は”いけばな”において起こる事というよりも、人生やお仕事においての有る有るネタだと思います。
アンテナが立たないと理解する事が出来ない
いけばなでは、お花を生ける知識や技術を学んで頂くために色々な説明やお話をさせて頂いたり、実際にお花を生けて頂いたりします。そんな中でこちらがどんなに良いお話をさせて頂いても、受け手の側の生徒さんが一定のレベルに達していないと理解して頂く事すらできないのです。
私はこれをアンテナが立つという風に表現します。
テレビで放送を見ようと思うとアンテナが必要ですよね。BSを見ようと思ったらBSのアンテナが必要です。しかしBSのアンテナではCSは見ることは出来ません。
テレビの電波は私達の身の周りを一杯飛んでいます。しかしその電波を感じることは全くありません。なんならそんな意識すらしていないですよね。しかしアンテナが立てば、そのアンテナで捕まえる事が出来る放送は見ることが出来るようになります。
この状況ってまさしく、「機が熟さなければ理解することはできない。知ることはできても。」と同じなんですよね。
人は経験や学びに応じてステップアップしてゆく
いけばなのお稽古を始めて1年の人は1年の人なりの理解を、5年の人は5年の人なりの、お弟子さんを教え始めて間が無い人はその人なりの、お弟子さんを10人教えている人はその人なりの理解をされます。すなわち経験や学びに応じたその人のステップによって理解度は変わってゆくという事なのです。
同じ講師の人のお話を聞いても毎回新しい発見があるというのはまさにそう言うことですね。講師の方のお話が解りやすく上手に話しするようになったというよりも、聞き手側のレベルや今おかれている状況が以前とは違うので、心に残る事が違ってきているという事なのです。
今日の展覧会形式の勉強会では、モデル作品を前にしながら2時間ビッチリと色んなお話をさせて頂きました。幹部の先生方と言っても全員経験や年数など全く違いますので、全ての方に私が研究会においてお話させていただいた内容が同じように伝わり深い部分までご理解いただく事が出来たとは思っていません。
しかしたとえ1つでも、それぞれの皆さん方のレベルやステップに応じて記憶に残して頂けたり、役立てて頂く事が出来れば、今日の研究会の価値があったと思います。
さあ明日と明後日も、頑張りますよーー。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。