「体験」こそが人生を豊かにしてくれるのであり、”いけばな” もお花を生ける事を通じてどの様な体験を提供させていただく事が出来るかが大切なのです

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

昨日は甲子園に野球をしに行ってきました。甲子園に野球を見に行ったのではありません。草野球ですが野球の試合をしに行ってきたのです。

昨年に引き続いて今年も行ってきたのですが、そんな中でいつも思う事があります。それは、人生の豊かさとは良い体験の積み重ねからこそ得ることができるという事です。

人生を豊かにしてくれるのは「体験」

人生を豊かにしてくれる要素はいくつもありますが、その中でも絶対に外すことが出来ないモノとして「体験」があると私は思っています。
知らない体験をする、より深い体験をする、幅広く体験する、というような事は、少なくともその人の話題が絶対に豊富になると思うのです。すなわち人間としての厚みや深みが加わるという事であり、その人の魅力が増すということにほかなりません。

そして色んな体験を通じて ”驚いたり” ”喜んだり” ”楽しんだり” できるのは、人生を大いに楽しむことが出来ているという事だと思うのです。

「体験」はお金を出さないと出来ない。しかしお金を出しても出来ない体験もある

「体験」には多かれ少なかれ、必ずお金が必要になります。これはお金持ちを奨励しているという事ではなく、今の世は生きているだけでもお金がかかるようになっており、そういうルールになっているという事を申しあげているのです。
例えばお水は"ただ"ではありません。水道の蛇口をひねればお水は出ますが水道代がかかっています。ガソリンが高い高いと皆さん仰られていますが、ペットボトルのお水はガソリン並みの金額です。
あるいは、仮にお金が掛からない様に親から相続した土地建物で自給自足していると言っても、固定資産税は必要になります。つまりこの世の中はオギャーと生まれるときから死んで埋葬されるまで、生きていくだけで何かしらのお金が必要になるという事です。

そんな中で、何かを体験するためにお出掛けすれば移動に費用が掛かります。仮に歩いて行ったとしても服を着たり靴を履いたりしなければお出掛けなんてできないのですから、全く費用を掛けずに出来るお出掛けなんてありません。なので何かを体験しようと思うとお金が必要になるという事です。

ではお金を出したら何でも「体験」出来るのかというと、そんなことはありません。たとえば遊園地に行って乗り物に乗るためにはお金が必要になります。しかしいくらお金があっても、身長制限とかがある乗り物にはその身長に達していなければ乗ることが出来ないのです。
これはブログの最初に書いた、甲子園での野球も同じです。「お金ならいくらでも出すから私も一緒に行きたい」と仰られても、この機会に参加する資格が備わっていなければ、ご一緒していただく事はできないのです。
つまり体験をするためにお金は必要ですが、お金が有れば何でも体験できるという事ではないのです。

いかに沢山の体験をするかが豊かな人生につながり、それは ”いけばな” が正にそういうものなのです

私は人生って、色んな事を「体験」して知ることによって楽しさが増えると思っています。経験や感覚というものは自らで「体験」しなければ絶対に分からないものですし、「体験」から得られた感覚や経験をもとにして、「今回はこういう風にしよう」と、より良い考え方や選択がその後に出来るようになるのです。

「体験」を大切に考えると人生が豊かで楽しくなります。なので私達いけばなに携わるものは、「花を生けるという事を通じて生徒さん達にどの様な体験を提供する事ができるのか」という事を常に考える事こそ大切なのだと私は思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。