8月31日になると毎年思い出す ”夏休みの終わりの寂しさ” から感じた、体験の違いが思考や価値観の違いを生み出すという事

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

今日は8月31日です。台風もまだまだ迷走中ですが、勢力も少し弱まってきており、これ以降大きな被害を出さずに済んでほしいと思います。
そんな中8月31日になると毎年私の記憶に蘇る ”懐かしい寂しさ” があります。それは子供のころの感覚になります。

8月31日の寂しさ

最近は8月の末から二学期が始まる学校も多いですが、私が子どもの頃には9月1日から二学期が始まるのが一般的で、8月31日は夏休みの最終日、すなわち夏の終わりっていう印象を子供ながらに感じていて、なんとも表現できない寂しさを毎年この日には感じていました。

この寂しさを例えるならば、夏休みに朝から友だちと遊びに行っていて、夕方に日が暮れはじめた時の夕日を見て帰らないといけなくなった時の感じで、1日が終わってしまったという気持ちや一緒に遊んでいた友達と別れて帰らないといけないという寂しさなど、色んな感情が入り混じっていましたが、この感情の最上級なものでした。 

そんな感情が毎年この8月31日にはなんとなく蘇ってきて、鼻の奥でツーンとするような感じが「あぁ~8月31日だなぁ。。」って、子どもの頃が思い出されるのです。

世代が変われば体験も違う

今の子供たちは、塾や習い事や夏季特別集中講座などがあるので、夏休みの方が忙しかったりするのでそんな感覚ってないんでしょうね。
もしかしたら私が持っている感覚とは真逆で、は~忙しい夏休みが終わった。。ってホッとしているのかもしれませんね。

そう考えると、こういう子供のころからの体験が、世代間の価値観や考え方の相違の土台になっているのでしょうね。だって私たち戦後世代は、B29が飛んでいる様子なんてテレビや映画で見たことしかありませんし、爆撃されて逃げた経験などももちろんありませんので、その怖さをいくら聞かされても実体験ではないので ”へ~” としかなりようがありません。
まあ実体験としてわかるのならば、小学校の校舎が真っ黒だったのが、冬休みだったか春休みだったかは忘れましたが、休み明けに学校に行ったら校舎が真っ白になっていたので話を聞くと、これまでは敵の飛行機から目標にされないように黒く塗られたままになっていたけれど、きれいに塗り直されたという話で、この時に防空色に塗られていたという言葉も知ったりもしました。あとは防空壕の跡が遊び場だったり、砲台の跡が遊び場だったりしたくらいでしょうか。
なので私の実体験に戦争はありませんが、戦争の爪痕というか戦争のその後ならば実体験として理解することはできます。けれどこんな話をいくら私の子供世代に話をしても ”へぇ~” で終わりだと思います。

体験が違えば思考や価値観も変わる

なのでこの夏休みに対する捉え方や考え方も、私たち世代は「夏休みが終わってしまった。。。」だったのに対して、今の子供たちは「やっと夏休みが終わってくれた」という感じかもしれません。そう考えると私にとって楽しかった思い出の夏休みも、今の子供たちにとっては苦い思い出や嫌な思い出なのかもしれませんね。

そんなことを思いながら、世代が違えば体験が違っていて当然ですし、体験が違えば思考や価値観が違って当然だよなぁって改めて感じたので、今日は徒然にそんなことをブログで書いてみました。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。