時間の積み重ねによって培われた文化は、どんなにお金を積んでも買う事は出来ないし、盗まれることもありません
目次
こんにちは、内藤正風です。
今日は朝から光風流本部いけばな教室の事務所で、雑務に追われてヒーヒー言っています。
事務や雑務苦手や~。。(笑)
そんなに苦手やったら雑務や事務なんて外注に出してしまえばいいようなものなのですが、そうもいかないのです。それは時間の積み重ねを形にして残さなければならないので、私でなければできない事だからです。
と、こんなことを言うと何のことやら全く分からないでしょうから、今日のブログでは文化とは何か
そんななか、雑務をしながら聞いていたラジオで、お金で買えないし絶対に盗むことが出来ないものは ”文化” であるという話をしていたのですが、まさに私の思いと同じだったので、今日はそんなことについてブログを書こうと思います。
そもそも「文化」とは何か
「文化」って色々な機会に使われる言葉ですが、「じゃあ文化って何?」って聞かれると、明確に答える事が出来にくい人が多いのではないでしょうか。今の時代スマホやパソコンでググればすぐに語意は出てきますが、その語意を読んでも明確にそして簡潔に自分の言葉や考えとして答える事が出来にくいのではないでしょうか。
私はその理由は、特別な機会のモノ、日常的なモノ、人や動物に関連するモノ、社会としてのモノ、というように、その範囲があまりにも広すぎる事が原因ではないかと思っています。
とはいえ、どんなに範囲が広くても、そのすべてに共通して言う事が出来る要素が一つあります。それは「積み重ねた時間」がそこには不可欠だという事です。
文化を考えるときに「ハレ」と「ケ」は抜きにはできない
私は日本における文化を考えるときに、「ハレ」と「ケ」を抜きにしては考えることはできないと思っています。すなわち「ハレ」とは非日常であり、「ケ」とは日常という事です。
そして何か1つの文化を見るときに、その特徴が如実に表れるのが「ハレ」の機会であり、「ハレ」こそが象徴的な存在になっていると思います。
たとえば、日本に古くから伝わっている八百万(やおよろず)の考え方が象徴的に現れているもののうちの1つに、お正月を挙げる事が出来ます。
最近ではお正月を簡単に済ます方が増えていますが、そのことによってお正月が日常化し「ハレ」の機会ではなくなることによって、お正月の意義や意味が正しく子孫に伝える事が出来なくなっているように思います。
すなわち「ケ」としての日常ではなく、非日常としての「ハレ」の機会が、文化を伝承する節目としての機会になっているという事が出来ると思うのです。
文化を根付かせるには長い年月がかかる
文化を語るうえで忘れてはならないのが「時間」です。
例えば分かりやすい例を挙げるならば、企業の「社風」、学校の「校風」、家の「家風」なども文化の一つになりますが、それらは1日ではそんな風に呼ばないですよね。何年というよりも何十年、あるいは何百年という風に積み重ねた時間が長ければ長いほどその文化の裏付けであり重みになってきます。
すなわち文化とは、時間の積み重ねによって定着し習慣化してゆく存在であるという事でもあるのです。
なので何か新しい文化を根付かせようと思うと、とにかく長いスパンで考える必要があるという事です。
文化を無くすのはとても簡単です
しかしその反対に文化を無くすのはとても簡単で、「や~めた」でどんなに長い歴史のある文化も無くすことが出来てしまいます。
すなわち、文化は一夜にして無くすことはできますが、文化を作り上げるためには長い時間が必要になるという事です。例えば家風は二代以上続いて初めて「我が家の家風です」といえるものになるように、時間の積み重ねがあってはじめて文化として成立するようになるのです。
時間の積み重ねは、お金をいくら出しても手に入れる事は出来ない
どうでしょう。これまで読み進めていただいた方は「文化の価値」って何かお分かりいただけたのではないでしょうか。「文化の価値」とはすなわち「いくらお金を積んでも手に入れる事が出来ない、時間の経過によって積み上げられたもの」なのです。
たとえば日本には世界に誇る優秀な技術が沢山あります。しかしこれらは研究費や人件費などお金を積み上げる事によって、いくらでも奪い取ることが出来ます。あるいは知識や技術を盗み取ることもできます。
しかし日本の2684年の時間を積み上げたことによって培われている日本という文化、すなわち日本の国の歴史は、いくらお金を積み上げても奪い取ることはできませんし盗み取ることは出来ないのです。
アメリカがいくら世界一のお金持ちの国だと言って、仮に、仮に日本を買い取っても、それはアメリカの歴史にすることは出来ないのです。
なので、この世で唯一奪ったり盗んだり真似したりすることができない存在があるとしたら、それは積み上げられた時間によってできている文化なのです。
50年でも100年でも1000年でも、1日1日の積み重ねがあってこその歴史です。毎日毎日、出来る事を行ない、しっかりと積み重ねをしてゆくことこそが大切だと思います。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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