情報は受け手がしっかりと精査しなければなりません。なぜなら「みんなが言っている」は、「全体が言っている」ではないのです

こんにちは、内藤正風です。

昨日のBlog「着物を着るときにタオルを使って補正をされている方に朗報です。自分に合わせた補正下着を製作する講習会を9月12日に開催します」をアップしましたら、「そんなこと誰でも知っています」ってご意見をいただきました。
申し訳ありません。誰でも知っていることを書いて。。。

とはいえ私は皆さんご存じのようにアホなので、世の中の誰も知らないことをブログに毎日書き続けるようなことはできませんので、これからも皆さんがご存じだったりするネタを書いてゆくようになりますのでお許しください。

もし誰でも知っているようなネタを書いているのがお気に召さないようならば、私のBlogなんて命にかかわるような重大事は書いておりませんので、大切な時間を割いてまで読んでいただかなくても大丈夫ですよ~~。(笑)(笑)

 ”みんな” って誰々のことでしょう

ところで「そんなこと誰でも知っています」って言葉を見ていて思ったんです。誰でもっていうのは”みんな”ってことですよね。ではこの場合の”みんな”って誰々の事なんでしょう。
地球上にいる人類すべてという事でしょうか。それとも日本国籍を持つ日本人すべてという事でしょうか。

いやぁ~外国の方の中には着物の補正についてご存じない方もあるでしょう。多分。。。
日本国籍を持っていたらみんな知っていますでしょうか。。。中学生や高校生は知らない人の方が多くないでしょうか。たぶん。。。
という事は、この時点で ”誰でもではなくなっている” と思うのです。

では、みんなと仰られたその方の周りの方はみんなという事でしょうか。
それは私は調査していませんのでわかりませんが、そうだとしたらその方の身の回りにおられる赤ちゃんから高齢者まで誰でもが知っていますという事であって、世の中のみんなという風に解釈をすることは、私の早合点だと思うのです。

「”みんな”って誰々ですか、名前を挙げて教えてください」って聞かれたことありますか

色んな機会に「みんなが言っています」とか「みんなの意見です」って耳にすることがありますよね。
この”みんな”って言葉に惑わされてしまう方が多いのではないかと思うのですが、じゃあその”みんな”って誰々の事なのか確認されたことありますか?
私は何度もあります。
「わかりました。ちなみにその”みんな”って誰々ですか、名前を挙げて教えてください」って。

結果はいつも同じでした。
さっと名前が挙がるのは2~3人、考えながら5~6人、10人のお名前を挙げられる方はたま~におられましたが、20人以上のお名前を挙げられた方は誰一人としておられませんでした。

結局 ”みんな” は ”すべての人”ではない

結局、”みんな”じゃないんです。自分の周りにいる人の中にはそういう人がいるってだけなんです。
自分の考えと同じか近い意見を持たれている方が何人かおられたら、”みんな”になっちゃうんですね。自分の意見の裏付けにするために。

今の日本は、大きく声を挙げた人の意見が注目され、ことさらに声を挙げない方の意見は無視をされる傾向があるように思います。
たとえば「○○のとんかつはムッチャまずかったし、店主も最低だ~!」ってワーワー言ったら、それを皆が目にしたり耳にしたりします。
しかし逆に、そのお店が美味しいと思っていたり店主と仲良しの人は、いちいちそんなことを声高に言わないですよね。
仮に美味しいと言っている人がいても、ネガティブな言葉のほうがショッキングだし話題性があるので「○○のとんかつはムッチャまずかったし、店主も最低だ~!」のほうが広まって行っちゃうのです。

するとそういう情報をうのみにする人たちは、「○○はムッチャまずいし店主は最低だって”みんな”が言っている。。」って思ってしまうようになっちゃいます。

情報は受け手がしっかりと精査しなければならない

情報に溢れている現在、人の意見を参考にするのは良いと思いますが、自分でしっかりと確認したうえで責任をもって取捨選択しなければ、世の中に振り回されてしまうようになってしまいます。
情報弱者という言葉がありますが、一般にはネットにアクセスできないような高齢者のように思われがちですが、溢れている情報に振り回されてしまっている人も実は情報弱者だといえると思います。

ざっくりというならば、声高に言われている情報、ネガティブな情報、「みんな」が付いている情報は、よくよく精査したほうが良いと私は思っています。

ま、そもそも私は幼少のころに、「みんなが持っているからほしい」とか「みんなが言っている」とかって親に言ったら、「じゃあみんなが死んだらお前も死ぬのか?」って散々言われて育てられたので、相手の方から「みんな」という言葉を用いられても価値にも圧力にもならないですし、逆にその言葉を使われたときには疑ってかかっちゃうだけなんですけどね。(笑)

情報社会のいま、皆さんもお気を付けになってくださいね。

 

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。