人は何故、経験や熟練度を年数という物差しで測るのかを考えると、人間の本質が見えてきた
こんにちは。
いけばなの光風流家元 内藤正風です。
今日は本部いけばな教室で朝から教室を1日中開催しました。
昨日は1日雨だったので、今日の様にお天気が良い日に教室にいると、外に出掛けたい子供みたいになっているのはナイショです(笑)
さてそんな今日は、お稽古の年数ってことについてBlogを書きたいと思います。
人は趣味とかについて聞くときに、なぜ年数で聞くのだろう
いけばなだけに限らず、趣味について「どのぐらいされているのですか?」って聞かれると、多くの人が5年です。とか、7年です。とか、13年です。って言うように年数で答える場合が多いですよね。
そして年数が多ければ多いほど、凄いですね~とか、お上手なんですね~って言われたり、思われたりしますよね。
これって不思議だな~って、ず~~っと以前から思っています。
だって年数ほど不確かなものは無いじゃないですか。
年数=技術の習得や熟練ではないのです
例えばですよ、1年に1度、お正月の時だけお花をお稽古しに来られる方がおられたら20年お稽古されていても20回にしかならないんです。
かたや、毎週お稽古されている方がおられたら1年間で52回お稽古されている事になるんです。
20年間で20回の人と1年間で52回の人。
すなわち、年数=技術の習得や熟練と言う事ではないって事ですよね
なぜ年数で比較し判断の基準にするのか
技術の習得でいうならば、1年間で52回の人の方が圧倒的に沢山の事が身に付いていると思います。
しかし、より長く継続しているという事ならば、20年の人の方が圧倒的です。
お稽古のステップによる比較も出来るでしょうし、お稽古の習得度合いによる比較もあるでしょう。
なのに年数で比較したり判断したりするっていうのは、何故でしょう。
私は年数と言うのが一番わかりやすい共通の物差しであるという事と、短期間に回数をこなすお稽古をされる人よりも、マイペースで長くお花を楽しまれる人の方が全体の中では多いと言う事が理由ではないかと思っています。
あっ、勘違いしないでくださいね。
ここで言いたいのはどちらが良くてどちらが悪いとか、どちらが優れているかというような事ではありません。
多くの人が年数でその経験を判断するということは、そこになにかしらの大きな意味が有るんだろうなぁと思ったのです。
そしてそう思って考えると、全体の中で多数を占める”マイペースで長くお花を楽しまれる人”が価値を感じるからこそ、年数の比較と判断が中心に位置づけられたのだと言えると思います。
言葉や行動は本質から現れ出た現象でしかない
1つの言葉や1つの行動には、必ずそこに隠された意味があると思います。
ようするに、言葉や行動は本質から現れ出た現象でしかないって事なんです。
目に見える言動で一喜一憂するのではなく、その本質に目を向ける事こそ大切な事だなぁと、改めて感じたお稽古日でした。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。