師範披露いけばな展にお越しくださった春風小イチロー師匠とお話をさせて頂いた、古典と新作(新花)の関係を理解すると見えてくること
ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
今日のブログでは、先日の師範披露の時にお越しくださっていた腹話術の春風小イチロー師匠と、お話させていただいた「古典と新作の関係をしっかり理解すると見えてくる今するべきこと」という事について書きたいと思います。
春風小イチロー師匠との浅からぬご縁
春風小イチロー師匠と私というか光風流は、じつは50年近くのご縁があります。と言いますのも一番最初の関りは、私ども光風流の創流15周年記念祝賀会の時にお祝いのアトラクションとして春風小イチロー師匠にお越しいただいたことから始まっております。
そしてその後、私が加西市文化連盟に加西市いけばな協会の会長として顔を出させていただく様になってからは、春風小イチロー師匠は芸能協会の代表として参加しておられましたので、お出会いさせていただくたびに親しくお声がけくださいました。
今は加西市文化連盟には愚息が顔を出させていただいてますし、春風小イチロー師匠も文化連盟からひかれておられますので、そう度々お顔を合わさせていただくことも少なくなりましたが、それでもたまにお出会いさせていただいた時にはいつもにこっと笑いながら歩み寄ってくださり、お話をさせていただけるご縁を頂戴しています。
腹話術といけばなの本質的な共通点
腹話術といけばなと聞くと、全く関係ないように思われる方が多いと思います。確かに行なっていることは腹話術といけばなでは全く違います。片方はお人形を用い片方は植物を用いるみたいに。
しかしながらこの2つは、その本質の部分では共通する部分がたくさんあり、先日の師範披露いけばな展の時に会場でお茶を飲みながら、春風小イチロー師匠と「古典と新作(新花)」という事についてお話をさせていただくことが出来て、私自身も改めて「古典と新作(新花)」という事について考える機会になりました。
古典とは何か
ここでいう「古典」とは、「古くから伝わってきている技術や知識」という風に思っていただければよいと思います。
ただ「古くから」の定義は、そのものが積み重ねてきている歴史によって変わってきます。例えば50年の歴史を積み重ねてきているものにとっては50年前は古くからの中に入るでしょう。しかしながら約700年の歴史のいけばなでは、50年は古くからとは言い難いのかなぁと思います。
なので一律に ”〇年以上のものが古典” とは言うことができませんが、一つの目安として「基本」と呼ばれる位置づけになっている古くから伝わっているものは「古典」という風に定義して良いのではないかと思います。
新作(新花)とは何か
それでは新作(新花)とは何かという事ですが、新しく生み出されたものという風に考えていただいたらいいのではないかと思います。
ざっくりいうと、今に時代の感覚や流行りなどを盛り込んだもの、今の住宅環境を踏まえて生み出されたもの、今までになかった手法や素材を用いたもの、という感じです。
そしてもう1つ、古典と呼ばれるものには一定の決まりがありますが、新作(新花)にはこの決まりといわれるものが存在せず、作者や演者の感性によるところが大きいという事ができると思います。
なので一般的に、古典=堅苦しい、新作(新花)=自由、というようなイメージで捉えられることが多いように思います。
古典と新作は対比の関係ではない
ではここからは、古典と新作(新花)という事について考えてゆきたいと思いますが、この両者について対比の関係で見てしまっている方がとても多いです。古典=古い、新作(新花)=新しい。あるいは先ほども書きましたように、古典=堅苦しい、新作(新花)=自由、という感じです。
しかしながらこの考え方をしている限り、古典と新作(新花)について正しく理解することはできません。
どういう事か一例を挙げて説明をしてゆきたいと思いますが、いけばなは約700年の歴史があります。その中で古典と呼ばれるものにはその成立とすぐ(約700年前)から伝承されているものもありますが、今から約200年前に成立したものもあります。そしてこの200年前に成立した古典は、発表された当初は新作(新花)だったわけです。そして今の世と同じく新興勢力は既存勢力から非難され、そんなものはいけばなではないといわれたわけですが、それから約200年経って今の世まで伝わってきたら、古典と呼ばれるものになっています。これがいけばなで言うならば「三才格」や「五行格」という生け方になります。
一方、今から約70年前に「前衛いけばな」というものが発表され、これも当時の既存勢力からは、そんなものはいけばなではないと非難されました。そして現在、この「前衛いけばな」と呼ばれるものは誰も行なっていないですが、しかしながら前衛いけばなによって開かれた素材の自由という事はそのまま残っており、いけばなに金属やアクリルや石というような世にある素材が普通に用いられるようになったのは、この前衛いけばなのおかげだという事ができます。
お分かりいただけましたでしょうか。新しいものが生まれ、そして時代という砥石で何十年何百年と磨かれ、その結果残ったものは古典になってゆくという事なのです。
つまり新作は古典になる種であり、古典は新作が昇華したものであるという事なのです。
未来へのヒントやアイデアは、古典や歴史の中にこそある
日本人は物事を対比の関係で見ようとしがちですが、対比の関係からは何も生まれないと思うのです。手も表があるから裏があるのです。陰と陽も対比ではなく共存しているのです。
そして人はすぐに0→1を生み出そうとしますが、そうそう今までになかったものを生み出すことなんてできません。そして誰もやっていないことを見つけた!なんて思っていても、それは実は以前に誰かが既にやっていて、良くないから時代の砥石に磨かれて消えてなくなっただけなんてことが無数にあるのです。
歴史は繰り返すという言葉がありますが、正に未来へのヒントやアイデアは古典と呼ばれるものや積み重ねてきた歴史の中にこそあると私は思っています。
古典や歴史を広くそして深く理解すればするほど、物事を正しく見て判断する力が備わり、すなわちそれが未来への可能性を開く扉になるのだと思います。
内藤正風PROFILE
-
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。