光風流新年会のリハをしながら思った、過去から学ぶとは過去をそのまま真似るという事ではなく、その本質を理解して今の時代に合わせて活かすという事
ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
今日は来年早々に開催する、光風流新年会のリハーサルを行いました。新年会実行委員会の皆様がいろんな企画をしてくださっているので、今から新年会当日が楽しみで楽しみで。
どんなに時代が変わろうと大切にしないといけないことは変わらない
光風流では創流以来毎年、新年会を開催しています。ちなみに光風流の新年会は、飲食をして宴会をするのが目的ではなく、新年の挨拶をする事を目的として開催しています。
と、こういう話をしていると、「新年の挨拶なんてそんな小難しい事を言わなくてもいいやん。。」って言われる方もあるでしょうが、私はこういう事って大切だと思っています。これは先日のブログでも少し書きましたが、私は「名は体を表す。型は本質を象徴する」と考えているからです。
例えばお世話になった方へのお礼は、お金があるからお礼に伺う。お金がないからお礼には伺わなくていい。ということではないと思うのです。確かに生活が苦しいのでお礼に伺うときの手土産などの内容が変わるということはあるかもしれません。しかし何かを持ってゆくとかゆかないとか以前に、お世話になった方に「ありがとうございました」という心をお伝えすることは欠かしてはいけないと思うのです。
それと同じように年頭に際しても、自分が学ばれている先生に対して、所属支部の支部長に対して、家元へ、新年の挨拶をするということは、私たち華道という “道“ のつくものに携わるものとして“礼敬“ は大切にしなければならないことだと考えますし、光風流としても大切にしてゆくべきことだと思っています。
昔が良いという事ではなく、過去から学ぶことの重要性
と、こんな風なことを言っていると、昔の事をとにかく良いと考えているとか古い事が至上と考えているという風に誤解を受けるのですが、決してそうではありません。時代はどんどん移り変わっているのですから、私は今の時代にそぐわない事柄は改善してゆくべきだと思っています。
ただそんな中で、何かを改善しようとしたり何かを行なおうとしたときに、何もわからない中で勝手に判断したり適当に行なったりしたのでは良い結果に結び付けてゆくことはできません。ま、たまたま偶然にうまく行ったという事はあるでしょうが、そんなことしているとうまく行くときと行かないときの両極端になってしまうと思うのです。
なので私は色々なことを考える時に、日本の国が積み重ねてきた歴史の中にこそ、これから私たちがどうしたらよいかのヒントがあると思い、ヒントやアイデアの種にしています。つまり過去から学ぶという事です。
ちなみにここで私がいう過去から学ぶということは、過去をそのまま真似るという事ではなく、その本質を理解して今の世にあわせて活かすという事です。そんな経験の中から私は「名は体を表す。型は本質を象徴する」と感じているのです。
日本には2683年の歴史があるのです。と言う事は2683年間、その時代時代を生きた人たちが積み重ねたり学んだりしてきたノウハウが日本にはあるという事です。
このノウハウをどんな風に生かすか。活かすも殺すも私たち次第ですよね。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。