万物はいつか滅するからこそ、形あるものに目を捉われるのではなく本質に目を向けなければ、無駄な人生を歩む事になってしまうのです
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
光風流の長老がお亡くなりになられたので、葬儀に参列してきました。私が子供のころから良くして頂いた先生ですので、お見送りをしながら色々な記憶が巡りました。
そんな思い全てを一言で表すならば、「諸行無常」になるのかなと思います。とはいえ私が思っている「諸行無常」のイメージと皆さんの持たれている諸行無常のイメージは、かなり軸足が違うのではないかと思いますので、今日はそんな事についてブログを書きたいと思います。
万物の定めは「生じ消える」事
諸行無常というと、「全ての物は滅びてゆく」という理解やイメージをなさっている方が多いのではないかと思います。いうなれば、時間の経過による「滅」という捉え方です。
しかし私は、諸行無常とは「今を生きる」という事だと感じています。
人で例えるのが一番わかりやすいので人でお話をすると、人間には寿命が有ります。言い方を変えると、オギャーと生まれた瞬間から死に向かって生きているのです。そしてそれと同じように、万物には「生じ、そして消える」という定めがあります。つまり滅するために一生懸命に生きているのです。
言い方を変えれば、滅が必ず最後に待っているからこそ、生が尊いのであり、一生懸命に生きようと思う事が出来るのです。
永続性は、バトンを渡す事でのみ得る事が出来る
と、ここまでお話をすると、「万物には最後に「滅」が待っていて全てが無くなってしまうのだったら、一生懸命に何かをしてもしょうがない」という風に考えられる方があるかもしれませんが、それは大きな間違いだと断言できます。
その理由はたった一つ、形あるものは滅してしまいますが形の無いものが受け継がれてゆくからです。
例えば人間でいうならば、親、子、孫という無形のバトンが繋がってゆきます。「いけばな」でいうならば、「教え」という無形のバトンが先生から生徒、そしてそのまた生徒という風に引き継がれてゆく事になります。
あなたはバトンを渡そうとしていますか
お解り頂けましたでしょうか。形あるものに目を奪われるから、必ず最後に「滅」にたどり着いてしまうのです。したがって形あるものではなく。もっと本質的なところに目をやれば、永続性を持つ事が出来るのです。
ここからは光風流の皆さんへのメッセージになりますが、少しきつい言い方になるかもしれません。
まず質問です。あなたは、教えを受けている先生の事を大切だと思っていますか。大切だと思っていない方は、ここから先は読まなくて大丈夫です。
では先生の事を大切だと思っておられる方にお聞きします。先生から受け取ったバトンを、次の代に渡すための行動を起こしていますか。
行動を起こしてくださっている方は、貴方が大切に思っている先生の教えを次代に繋げてくださっていますので、教えを受けた先生の教えは消え去る事はありません。
一方、思っているだけだったり、行動が伴っていない方はアウトです。
だって、先生からの教えという無形のものは、人から人へしっかりと口伝し受け継いでゆかなければ、〝あっ〟という間に消え去ってしまいます。なので先生の事をいくら大切だと言っていても、真の意味での先生を大切にする行動が伴っていないと言わざるを得ないし、行動が伴っていない「先生が大切だ」という言葉には何の意味もないどころか奇麗事を並べているだけでしかないと私は感じるからです。
その意味において私は「今をしっかりと生きてゆかなければ」、先生の事だけではなく自分で自分を大切にする事すら出来ていない状態になってしまうと言わざるを得ないのではないかと思うのです。
この度のお葬式は、そんな事を改めて考える機会になりました。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。




