私がいけばな展に際して「頑張ろう!」と思えるのは、見にきてくださる方があるからこそなのです
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ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
今日も朝から現在開催中の「日本いけばな芸術展」の手直しを行い、ホッとした時間を過ごしながら、このブログを書いています。
いけばな展は「皆さんが見に来てくださる」って思うから頑張れるのです
私はいつもいけばな展の作品つくりは、「皆さんが見に来てくださるから頑張ろう」って思っています。
これは昔から何一つ変わっていません。
光風流の皆さんや友達や仲間の皆さんが、いけばな展の会場にわざわざ足を運んで見に来てくださるんだから、上手か下手か以前に一生懸命心を込めて作品を作らないといけないなぁと思えるのです。
作品の上手下手は単なる結果でしかない
私はいけばなの技術の上手か下手かは単なる結果でしかないと思っています。いや単純に上手と下手とどっちが良いと思うかと聞かれれば、上手な方が良いとは思います。
しかしいけばなは、材料によるところや自分自身のメンタルの部分と言うような、技術と全く違うところの要素に左右される部分もあります。その時によっては何ともしようが無い材料が手元に届く事もありますし、とても素敵な作品ができる材料が届く時もあります。
気分がノリノリの時もあれば、全然気持ちが乗ってこない時もあります。これは仕方ないと思います。だって人間だもの。。(笑)
その結果、作品が良い感じに出来る場合もあればそうでない場合もあるのです。
大切なのはお越しくださる方に胸を張れる作品かどうか
しかし私はこのいずれの場合であっても、自分の作品を作るにあたって自分の持てる力の全てを出し切りたいとおもうのです。だからこそ"器"も"花材"も"イメージ作り"もできる限りの準備を行ない、そして自分の待てる知識や技術の全てを動員して作品作りを行なっています。
だって見に来てくださる方に向き合った時に、「私は今持てる力を注ぎ込んでこの作品を作り上げました」と胸を張って言いたいですし、その事こそが皆様に私が作品作りを通じて行うことができる一番大切な事だと思うのです。
結果も大切ですが、取り組む姿勢も大切だと私は思っています
人が感動するのは技術が上手だからではありません。
そこに相手に伝わる思いが有るからこそ感動に結びつくのです。
幼稚園の発表会を見ていて感動するのは何故でしょうか?小学生の絵を見て感動するのは何故でしょうか?
人間が感動するのは技術だけだと言うことならば、この二つには感動の余地すらないですよね。だって幼稚園の子供の演技力なんて拙いはずですし、絵をかく技術なんて未熟なはずですよね。
すなわち人が感動する要因の一つには、一層懸命に演じていたり一生懸命書いているという「一生懸命」ということがあると思うのです。
私が一生懸命に取り組もうと思う原動力は、皆さんが見に来てくださるからです。
皆さんがいけばな展を見に来てくださるから、お越しくださった時に喜んでもらえるように一生懸命にお花を生けようと思えるのです。
今回もそういう思いで一生懸命に生けた作品を展示しています。
なので是非会場にお越しいただければ嬉しいです。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。