モノを中心にした思考は前時代の物であり、これからはコミュニティを中心にした時代です

ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日はお稽古の合間に屋外でDIYしたい事があったのですが、午後から明日の早朝まで雨の予報になっていたので、明日の午後から時間を作って作業しようかなぁなんて思っています。

昭和から平成はモノ至上主義の時代だった

昔は良かったという言葉があります。私達いけばなの世界では高度成長時代から平成初期まで続いたバブルくらいまでがまさにその言葉で言い表される時代に当たると思います。いけばなをお稽古される方は次々にお越し下さり、全ての方が許状の取得を欲する時代で、放っておいても右肩上がりの時代でした。

この時代を今振り返り検証してみると、高度成長時代はダイエーに象徴されるように、とにかく安く物を手に入れる事が出来ればよいという「安かろう悪かろう」の時代でしたし、バブルの頃は物を買って自分の購買意欲を満たし所有欲を満たすことが最上とされ、世の中自体がモノ至上主義の時代だったなと思います。
いけばなで言うならば、お稽古に来られるすべての方が資格を求めてこられていました。つまり許状を求めてこられていたのです。結婚前にいけばなの師範の許状を取得し、輿入れの際に自分の箔にしたいという事で、言い方を変えるといけばなからの学びを結婚後に役立てようという意識ではなく許状を買いに来られていたといっても良いでしょう。

つまりモノを沢山持っている人が偉く、資格もモノの1つとして、自分を大きく見せるための道具くらいにしか捉えられていない時代でした。

モノ至上主義からコミュニティの時代へ

しかしその時代から30年以上を経過した今は、世の中にモノがいきわたってしまい、物を買う事や所有することに価値を感じたり満足感を感じる人は少なくなりました。言い方を変えるとモノに対して飽和してしまったという事だと思います。
つまり、昔は、テレビを持っていない=貧しい人と思われ、車を持っていない人=貧しいという風に思われていたのです。しかしモノを所有する事に対する意識が飽和した今は、必要の無いものは持つ必要はなく、持っていない=貧しいという構図が成立しなくなったのです。
これは私達いけばなにおいても全く同じことが起こっており、許状という資格を自分を飾るための存在とは見る人がいなくなりました。

そのような中で今世の中がどのように変遷しているかというと、私はモノからコミュニティに移ったと思っています。
つまり、いけばなの許状を取得することに価値があるのではなく、いけばなからの学びを家庭や仕事というコミュニティにおいてどのように役立てるか。あるいはいけばなを学びに来ている価値観が近い人たちとコミュニティを共有することで人生を豊かにしたいという感覚です。

コミュニティは一朝一夕にはならず

モノ至上主義の時はモノを手に入れればよかったので、ある意味短期勝負的な側面が強かったと思います。
しかしコミュニティの時代には一緒に過ごした時間や一緒に何かを行なったりと、共通の体験を積み重ねてゆかなければ信頼も絆も生み出したり強くすることはできません。なので今行なっている事がすぐには結果につながりにくく、モノ至上主義の時とは逆に長い時間をかけてコミュニティを育ててゆくという事が不可欠になります。

コミュニティを育てるには、時間をかけ地道な行動を積み重ねてゆくしかないので面倒だと思われる方も多いでしょうが、それこそがこれから一番大切なことだと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。