物事を考えるキーワードには「今」と「その時」があり、知恵を働かせたうえでの前回と同じ行動は前例踏襲ではありません

こんにちは、内藤正風です。

今日は午前中、光風流全体のことを検討する会議を開催しました。

時代は一時も留まっておらず、常に移り変わっている

私は何かを考えるときには、いつも「今」と「その時」を意識しています。
「今」とはすなわち「今までの移り変わり」ということ、「その時」とは「その事業や催しを開催するとき」ということです。

時代は常に移り変わっています。これは昨今のコロナ禍を見てもよくわかる事例だと思います。
例えば一昨年の年初と今年の1月と現在(5月28日)とでは、感染の状況だけではなく人々のコロナに対する意識が大きく変わっています。
これが「今」ということです。

そして、このコロナの感染状況や人々の心のありようや行動が、今度どの様になってゆくかということを、事業や催しの開催日の頃にはどうなっているかということを考え予測するのが「その時」ということです。

前例踏襲には知識はあるが知恵が備わっていない

「前例踏襲」という言葉があります。簡単に言えば ”これまでのやり方を同じように行う” という事なのですが、これほど知恵の無い思考と行動は無いと私は思っています。

すなわち、これまでの行動にはそのことによる経験や学びはあります。(単なる前例踏襲にはそれすら無いかもしれない場合もありますがね。。(笑))
しかし前例踏襲によってこれまでの経験や学びがいくら沢山あっても、それは「知識」としての存在であり、知識をどう役立てるかという「知恵」が無ければ知識は何の役にも立たないのです。

「今」と「その時」は、車の両輪と同じ

したがって「今」とは「これまでの積み重ねてきた経験や学びの集大成」という事であり、「その時」とは「これまでに得た経験や学びをどのように役立て生かすか」というほかならないのです。

そしてこの「今」と「その時」はどちらが重要という事ではなく、どちらもが不可欠な存在であり、車の両輪として同じように機能させてゆかなければ正しく前に進むことが出来なくなってしまうのです。

知恵を働かせたうえでの前回と同じ行動は前例踏襲ではない

特に毎年開催している様な事業や催しは、前回を参考にしながら開催することが多いです。
しかしここで特に私がいつも意識しているのは、前回と同じで本当に良いのか。ほかにもっと良い方法があるのではないか。前回は出来なかったが、開催予定のその時なら出来る(可能になる)ことがあるのではないか。という事です。

これまでの経験や学びという知識は、役立ててこそ初めて意味のあることになるのです。
例えるならば、国会図書館にいくら沢山蔵書がなされていても、それは全く何の役にも立っておらず、国会図書館の蔵書を必要な人が閲覧し、その中に載っている内容を別の機会に役立てるからこそ、はじめて生きてくるのと同じことなのです。

なので私は、これまでの経験や学びを元にして「どうしたら良いか」を考え、その結果導き出された答えが仮に前回と同じであっても、それは前例踏襲ではないと思っています。
だって、どうしたら良いのかを考え、その結果導き出される答えは2通りしかないのです。1つは前回とは違う方法で行なおうというものであり、もう1つは前回と同じにしようという答えなのです。
したがって、前回と同じか違っているかが大切なのではなく、その答えに至るためにちゃんと考えたのかという事こそが大切なのですから。

「今」と「その時」をどちらも大切にすることこそが、進化進歩の第一歩だと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。