人は誰かのお世話になって生きているのです。なので私は「恩返し」も大切ですが「恩送り」はもっと大切だと思います

ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。

先月まで、私はとある団体において事務方の責任者的な役割を1年間務めており、7月に入り年度が替わることによって無事にお役御免となりホッといたしております。
そんな中で、誰かを支えるという事を通じて思った「恩返し」と「恩送り」という事について、今日は徒然にブログを書きたいと思います。

 

「恩返し」と「恩送り」

私は、人のお世話やお手伝いをさせて頂くときには、徹底的に影に徹するべきだと思っています。なので世の中には、自分の顔が出たり良いカッコ出来るところには行くけれども、そうでない所には参加も協力もしないという様な人種が居られますが、私はこういう類の人間は、いくら社会的地位が高くても大っ嫌いです。

ちなみになぜそんなに、こういう類の人間が大嫌いなのかをよくよく考えてみたら答えは簡単でした。人間はお互いに支えると共に支えられて生きているという考えが、私の根底にあるからです。

人間ってみんなに支えられて生きています。人にお世話にならなければ人なんて生きていくことは絶対に出来ません。だって生まれた瞬間が既にお母さんのお腹から生まれているし、死んだら火葬場で焼いてもらわないといけない事を見れば、生まれる時から死んだ時まで人のお世話になっているというのは明白なのです。
なので私は出来る限り、周りの友達や仲間や光風流の皆さんのために動きたいと強く思っています。

「恩返し」と「恩送り」

そんな中で私は、「恩返し」と「恩送り」という事について考えるようになりました。

一般的に多い考え方は、お世話になった恩を返そうとする「恩返し」だと思います。確かに大切な事なのですが、ちょっと考えてみてください。「恩返し」って中々できないんです。だってお世話になった方って、自分よりも大きな存在であったり、ご高齢の方だったりする場合が多いと思うのです。そんな中で、恩を受けた方に恩を返そうと思ったら、返せるようにならずに済んじゃうことが多かったりするのです。

なので私は、人にお世話になった分、そのご恩を他の方に送る「恩送り」を大切にしようと考えるようになりました。あっ、「恩返し」ももちろんするのですよ。それと共に「恩送り」もするという事です。

「恩返し」や「恩送り」は、影に徹するからこそ生きると思う

そしてこういう「恩返し」や「恩送り」って、影に徹する意識を持って行わなければ意味がないと思っています。
だって考えてみてください。私は誰それさんにこんな事をしてあげた。とか、私はこんな事をしたのだからみんなに知ってもらいたい。なんて行動をとったら、それをしてもらった立場の人は嬉しいでしょうか。そんなことしたら、どんなに良い事をしていたとしても鼻についてしまい嫌な感じしか残らなくなってしまうと思うのです。

「恩返し」や「恩送り」は自分のためにしているのではなく、相手のためにしているのです。という事は自分のしている事は影の動きという事でしょうし、目立たないからこそ価値があると思うのです。
「恩返し」や「恩送り」は人として不可欠な事だと思うと共に、影に徹するからこそ生きるのだと私は思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。

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