「普通は○○だよね」とか「みんなが言っている」って、自信のない人が自分の言葉の裏付けにするために使っているだけで、何の意味もない言葉だと思います

こんにちは、内藤正風です。

日ごろの何気ない会話の中で「普通は○○だよね」って言ったりしますよね。私もたぶん使っている言葉だと思うのですが、この言葉を聞くたびにいつも思う事があります。それは「普通」ってなんだろう?ってことです。

「普通は○○だよね」の”普通”って何?

「普通は○○だよね」の「普通」って何を基準にして普通って言っているんでしょう。
自分以外の誰かと同じ価値観を共有している人がいるからでしょうか。けれどそれだったら、○○さんと私は。。。って事であって「普通は・・・」って表現はおかしいですよね。

では、自分以外の人で同じ価値観を共有している人が沢山いるからという事でしょうか。
けれどこれもおかしいと思うのです。なぜなら、地域や組織が変わったら価値観や考え方が違う場合ってよくありますよね。
例えばイスラムの国では決まった時間に定められた方向に向かってお祈りするのが普通でしょうが、イスラム教でない地域では普通じゃないですよね。

そう思って考えると、そもそも「普通」なんてものは存在しないのではないかって思うのです。

「普通は・・・」とは「みんなが言っている」と同じ

そんな風に色々自問自答してみると、ひとつの答えが私の中で出てくるのです。
それは、自分の意見や考えを裏付けたり補強したりするために、「普通は」という表現を加えているんだろうな
って事です。

そう、「みんなが言っている」と同じなんです。
「みんなが言っている」って話しをされている人に、じゃあ誰と誰が言われているのですか?って聞いたら、さっと名前が出てくるのはまあ2~3人、多い人で5~6人って感じです。まあよく名前上がっても10数人って感じでしょうか。
ええ、10数人の名前があがっても全然みんなではありません。だって日本の人口は1億2千万人、世界の人口は78億人なんですから、10数人は”みんな”どころか超極一部って事ですよね。(笑)

結局は「普通は・・・」とか「みんなが言っている」って言葉を付け加えることによって、自分の意見に重みを持たせたり信頼を持たせようって事なんだと思います。

「普通は○○だよね」ではなく「私は○○と思う」の方が伝わると思うのです

私はいつも思うのですが、そもそも皆さん他人の意見にそんなに重きを置いているんでしょうか。。
確かに参考意見くらいには思うでしょうが、自分のその後の行動を左右するほどの位置づけではないと思うのです。
なので「普通は・・」とか「みんなが・・」とかって言葉よりも、「私は○○と思うよ~」って言われた方が、人にはしっかりと届くと思うのです。

例えば、「みんながペットボトルのお茶を買うならアマゾンで注文するのが便利だと言っていたよ。」よりも、「私はペットボトルのお茶はお家まで宅配してもらえるので、アマゾンで注文しているよ」って感じです。
「普通はお好み焼き食べに行くなら「うまいもん横丁」だよ。」よりも、「私はお好み焼き食べに行くのは「うまいもん横丁」だよ。」って言われたほうが、興味を持てませんか。

結局は自分に、あるいは自分の言葉に権威を持たせたい人が使う言葉

「普通」って何を以って普通と言うのか。「みんな」って何を以ってみんなと言っているのか。そもそも「普通」や「みんな」って誰々のことを言っていますか?

そんなよくわからない言葉に振り回されない様にしないといけないなといつも私は思っています。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。