折角の自己成長の機会を、生かすも殺すも自分次第
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
先週末に開催した「光風流いけばな展」では、とても沢山の気づきや学びがありました。そんな中で、いけばな展を「とにかく作品展示すれば良い場所と理解しておられる方の残念さ」について改めて思ったので、今日はそんな事について自分の考えをまとめる為に、ブログを使って明文化してみたいと思います。
いけばな展をどう捉えるかで、意識がまるっきり違ってくる
私はいけばな展は、「自己成長の機会に他ならない」と考えています。つまり自己の作品作りを通じて試行錯誤を繰り返し、作品のレベルや完成度を高める事によって、自らの知識や技術や思考や閃きを磨き上げる機会だと思っています。
なのでそのために私は、生徒さんの作品作りは自分のしたい事を行なっていただくべきだと考えています。その理由は三つあり、まず一つ目は、私の作品ではないのです。そして二つ目は、光風流で学ばれていても作者それぞれに個性や好みが有るのです。
そして三つ目が一番大切なのですが、自分で考え、自分で試行錯誤し、建てたり崩したりしながら作品の完成度を高める事を通じて、自己成長の機会にしていただきたいと思うのです。
とにかく作品を展示すれば良いと考えるから、作品の完成度と自己を高める事に繋がらない
今回の光風流いけばな展においても、1回とか2回しか光風流本部いけばな教室に作品作りのお稽古にお越しになられていない方がおられますが、ハッキリ言って、そんなの作品としての完成度を高める事なんて絶対にできておりません。
だって1回や2回作品に手を入れて、それで完成度をしっかりと高めるなんて出来るはずがないのですから。
完成度を高めるという作業に、これで良いという事は無いと私は思っています。どれだけ妥協をしないか。どれだけの試行錯誤を積み重ねるか。今の自分をいかにして超えるか。
そのためにはタオルを洗って絞り、もう絞っても水分が出ないと思った後に最後の一滴がポトンと落ちるかのような作業が必要だと私は思っています。
いけばな展を「作品展示をする場」と捉えてしまうから、適当に作品作って置いておけばよいという考えになるのです。
せっかくの成長の機会を、生かすも殺すも自分次第
人の成長は筋肉の成長と同じです。筋肉を成長させようと思うと一定の負荷をかけ続ける必要があります。そしてその負荷は、疲れない程度に行えるレベルでは負荷にはなりませんので、成長に繋げる事はできません。
人の成長も同じです。自分が余裕をもって出来る事ばかりいくら行なっていても、そこから成長を得る事はできません。いや、そんな状態では、現状維持どころか衰退しか得る事はできないです。
人の成長に、年齢や性別は全く関係ありません。男性だから女性だから成長できないなんてありません。若いから高齢だから成長できないなんて事もないのです。
忙しければ、早くから作品作りに取り組めば良いのです。忙しければ1日に10分だけでも作品作りを行なえば良いのです。考えても分からないのならば、とにかくやってみれば良いし、人よりも沢山取り組めば良いのです。
せっかくの成長の機会を、生かすも殺すも自分次第です。
何とか誤魔化そうとか、適当に乗り越えようなんて思っているから、自分の成長を得る事が出来ていないのです。課題には真正面からしっかりとぶつかり、その中で揉みくちゃにされながら一条の光を見つけ、そこに向かって邁進するからこそ、自己成長を得る事が出来るのです。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。




