手法と目的が逆転してしまわないようにするには、「本質は何なのか」を意識することが大切です
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
昨日はお昼に「光風流新年賀詞之会」を開催し、その終了後に場所を改めてから光風流の先生方と会議を行ないました。
そんな会議の中で、新年賀詞之会の中で行なっている"いけばな作品のカレンダー額贈呈"に関連して、「手法と目的」という事。そして「本質を考える」という事についてお話をする機会がありました。
目で見えるものに本質は無い
人は往々にして、手法と目的が逆転してしまう場合があります。
例えば光風流では、毎年年頭に開催している新年賀詞之会において、その年の光風流カレンダーに作品を提供してくださった作者の皆様に、その方の作品をA4サイズにプリントして額に入れ、お1人お1人に贈呈させていただいています。
この行為だけを見ていると、写真差し上げただけに見えているかと思いますが、この行動が目指しているのは全く違う事になります。
ではこの一連の事は何を目的として行なっているのかというと、カレンダーに作品を提供してくださった作者を光風流の皆さんに紹介する事を目的に行なっているのです。
つまりここで大切なのは、「カレンダーに作品を提供してくださった方を、光風流の皆さんに紹介させていただき ”ハレの場” とする」という事であって、写真の額を贈呈する事が目的ではないのです。
つまり目の前で繰り広げられている写真の額の贈呈という行為行動は、あくまでも晴れの場を作るための手法であるという事です。
なのでハレの場としてもっと良い方法がある場合には、写真の額の贈呈だけに限らず、やり方を自由に変えてゆくことが出来るという事なのです。
手法は道具であり、”何を目指しているのか” こそが本質
日頃私たちが生きている中で、目に見えている事の大半は単なる手法に過ぎません。手法とはすなわち道具です。金槌やのこぎりと同じです。その時その時に合わせて必要な道具は変わってきます。なのでどんな道具を使うかという事は決して目的ではないですし、手法と目的が逆転してしまってはいけないのです。
特にこういう逆転現象は、恒例で行っているようなもので起こりやすい傾向が強いように思います。一番最初は何かしらの目的があってその行為を行なう様になったのに、長年定期的にその行為を行なっている間に、いつの間にかその行為を行なう事自体が目的になってしまって思考停止してしまっているって状態です。
人はついつい目の前で繰り広げられている事柄に目を奪われやすい生き物です。その結果、手法と目的がいつのまにか入れ替わってしまい本末転倒という事になってしまわない様に、常に「本質は何なのか」という事を意識し見失わない事こそが一番重要なのです。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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