褒めるには「成長させる褒める」と「堕落させる褒める」があるのをご存じですか

こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。

今日は終日、光風流本部いけばな教室でお稽古日でした。そんな中、お稽古にお越しになられている方からのお話で気になることがあったので、今日はその事についてブログを書きたいと思います。

今日のお稽古の中で聞いた話で感じた違和感

今日お稽古に来られた中のお1人が作品を作って持ってこられたのですが、その時に「作品を仲間に見せたら”とても良い出来だ”って言ってもらった」と仰られていたのです。
で、その作品は実際どうだったのかというと、完成途上でまだまだ手を加えないといけないところがある状態でした。

そんな中、私はその話をお聞きしながら2つの違和感を感じました。
1つはこの作品を凄く良いと言われた人への違和感。そしてもう1つは、自分の感覚ではなく人の意見で自分の作品の出来を判断されている事です。

褒めるには「成長させる褒める」と「堕落させる褒める」がある

いけばなには「人の作品の悪いところを殊更に指摘しない様に」という教えがあります。これは、よそのお家やいけばな展などで展示されているいけばな作品を見て、悪いところを見つけるのは簡単だが良いところを見る様にしようという事です。
しかしここで間違えてはいけないのは、おべんちゃらを言いなさいという事ではないですし、改善の余地があるのに取って付けたように褒めなさいという事でもないという事です。

私は褒めるという行為には3通りあると思っています。
1つ目は本当に素晴らしいので褒めている。2つ目は嫌われたくないのでおべんちゃらで褒めている。3つ目は良い作品にならない様に悪意を持って褒めている。です。

褒めるという行為自体は一見すると素晴らしい様に思われがちですが、褒めるという行為ほど難しいものは無いと思います。なぜならば人を成長させるために効果を発揮するのは、もの凄くストライクゾーンが狭いからです。
なので褒めるという行為には人を成長させる「褒める」と人を堕落させる「褒める」があり、その違いを理解している人が少ない様に私は思うのです。

なのでちゃんと褒める事が出来ない人は、堕落させる褒めるしかできないのです。

人の意見に振り回されないためには、聞き分ける耳が大切です

自分の作り上げた作品について意見を求めたいという気持ちは分かります。がしかし、人の意見に耳を傾けすぎると、自分のしたい事ではなく人の評価を気にした作品になってしまう可能性がとても大きくなります。

モノづくりをしていれば良い作品を作りたいという思いは大切です。そしてみんなに気に入られたいという気持ちが出てくるのも理解できます。しかし人に気に入られようとか良い評価を得たいと思った時点で自己表現ではなくなってしまっているのです。
良い作品は個性でありその作者そのものだと思うのです。人の意見に耳を傾ける事は大切です。しかしそれは人の意見に振り回されるという事ではありませんし、人の評価に一喜一憂するという事でもないのです。

人の意見に左右されないしっかりとした自分を持ちながら、人の意見に一喜一憂せずにすむ聞き分ける耳を持つことが大切だと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。