米田病院の玄関花を生ける事を通じて思った、「量」が「質」を生み出すという事

こんにちは。内藤正風です。

今日は午後からゴロゴロ雷が鳴ったり時折雨が降るお天気でした。しかし曇っているので外に出たときの焦げてしまいそうな暑さが無かったので、歩いているときとかはとても過ごしやすかったです。

米田病院のお花

今日は、米田病院のお花が新しくなりました。
っていっても、生けに行ったのは息子の内藤貴風なんですけれどね。

今回のお花はこんなのです。

「質」を作り上げるのは「量」

「質」と「量」のどちらが大切か。というお話が良くあります。
もしそういう質問をされたら大半の人が「質」が大切だと言われるのではないでしょうか。

たしかに何かを作り上げるという行為の最終的に目指すべきは「質」です。
「質」の悪い作品がどんなにたくさんあろうと不出来は不出来です。
レベル1の質の作品が10000あっても、レベル1には変わりないのです。

その意味でいうならば「質」が大切だという事が出来ます。

しかし「質」の高い作品を求めるのであるならば、まずは「質」よりも「量」を重視しなければなりません。
それはなぜならば「質」は「量」をこなしてこそ生み出されるものだからです。

飽きるレベルではまだ「量」をこなしたとは言えない

最初から「質」を求めても、まあ思うようにはいかないです。だって高い「質」のモノを生み出すためには、知識や技術、そして経験や慣れが必要になるからです。
こういう知識や技術、経験や慣れというものを身につけるためには方法は1つしかありません。
それは「量」をこなすという事です。

これは”いけばな”だけの話ではなく、絵画や書、陶芸、彫刻、写真、スポーツ、全てのモノに当てはまることだと思います。

10よりは100、100よりは1,000、1,000よりは10,000という風に、とにかく1つでも多くの「量」をこなす事が大切なのです。
”飽きる”という言葉がありますが、飽きるレベルではまだ「量」はこなせていないと思います。飽きるのを通り過ぎて勝手に体が動くレベルにまで達して、初めて「量」を語ることが出来る入り口に立ったのではないかと思います。

「質」は「量」からしか生まれない

私は「質」は「量」からしか生まれないと思っています。
それは自分の知識や技術、経験や慣れというものを身につけるためだけではなく、作品作りという意味でも同じことが言えます。

たとえば書家の方は、作品展などに出展する作品を作るときには何十枚どころか何百枚という作品を書いて、その中から自分が納得するものを選ばれています。
陶芸家の方も同じです。
スポーツ選手も日頃の練習だけではなく、試合にも沢山出場している人の方が自分の実力を発揮されていますよね。
すなわち「量」をこなすことが「質」を高めることになっているのです。

良い作品を生み出したり、よい成績を出すスポーツ選手は、才能があるから「質」の高いものを生み出したり良い成績を出すことが出来ているのではないのです。
沢山の数、すなわち「量」をこなしているからこそ「質」の高いものを生み出すことが出来ているのです。

真剣に「量」をこなす

息子はまだまだ研鑽を積み経験をしていかなければならない年齢です。(あっ!私も、もっともっといろんな経験をいっぱいしたいと思っていますよ)
そんな中で、こういう風な機会を持たせて頂くことが出来るのは本当にありがたい事だと、米田病院の米田先生には感謝しています。

息子も、もちろん私も、そして光風流で学ぶ皆さん方にも、これからも「量」こなしていっていただきたいと思います。
もちろん真剣に「量」をこなすんですよ。真剣にやらずにその場しのぎの経験なんて全く意味なんて無いですから。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。