自分を良く見せようとして発した言葉は誰かを傷つけており、その様な我欲は巡り巡って我が身を滅ぼすことになります
ごきげんよう、こんにちは、そしてこんばんは、内藤正風です。
今日はホテル日航姫路の中華料理「桃李」にて、ランチをしながらの会議を行ないました。
皆さんそれぞれに多くの意見をお出し下さり、ランチに意識が行ってしまうようなこともない会議になりました。
ところでそんな会議に同席しながら「自分をよく見せようとして発した言葉は、結局自分自身を傷つけてしまうようになるよなぁ」という事を思ったので、今日はそんなことについて書きたいと思います。
人は自分を、良く見せたいし良く見られたい生き物です
人は自分を、良く見せたいし良く見られたい生き物だと私は思っています。だからこそ女性はお化粧をしたり男性で髪の薄い方は多く見せようとしたりするのだと思います。毎朝身だしなみを整えるのは相手に不快感を与えないようにという事だけではないと思います。仕事が出来る人と思われたい(それがすなわち収入にも結び付いてくる)、賢く見られたいなど色々な良く見られたいがあります。
そしてこの事を私は悪い事だとは思っていません。良く見せたいし、よく見られたいと思うからこそ、色んな事を努力したり頑張ったりできる原動力になっているのですから。
しかし自分を良く見せたい、そして良く見られたいという意識や欲望が強すぎると、誰かに迷惑をかけたり傷つけたりしてしまう結果になってしまう様に私は思っています。
自分を良く見せようとして発した言葉は誰かを傷つけている
特に言葉は、発しても形として残らず消えてしまうので、分かりにくい様に思われがちです。
例えば、特定の誰か1人を殊更に取って付けたように持ち上げて褒める様な発言をした場合に、その発言自体は誰かを褒めているので良い事だと思われているかもしれないですが、往々にしてその言葉の陰で気分を害されている方が居られたりします。つまりそれは同じような立場にいる方からすると、あの人は褒められているけれども自分は無視されている様に感じられて嫌な思いをされていたりする場合があるという事です。
そして他にも、改善しなければならない点があるのにそこを放置しておいて、褒めたりすると、相手は「これで良かったのだ」と間違った理解をしてしまったりします。
ではなぜこんな事が起こるのかというと、我欲から出ている褒め言葉だからです。つまり、ある人に良く見られたいという我欲、あるいは悪く見られたくないという我欲が、周りの人に気を配ったり意識をすることを忘れさせてしまっているのです。
でもっと悪いのは、我欲で目が見えなくなってしまっているので、私は良い事をしたと思い誰かを傷つけている事に全く気が付いていない点にあるのです。
我欲は信頼を失い身を亡ぼします
欲には良い欲と悪い欲があると思います。良い欲とはすなわち、自分を成長させる原動力になる欲です。
仕事が出来る人と思われたいので、人が見ていないところで勉強をしたり努力をしたりしよう。これは良い欲です。
しかし仕事が出来る人と思われたいけれどしんどいのは嫌なので、上司を褒めて気に入られようとか、人がやっている事(言っている事)の上っ面だけ真似してその場しのぎをしていこう。これは悪い欲だと思います。
つまり自分さえ良ければよいという「我欲」は、一時的には自分の自尊心を満たしてくれるかもしれません。しかし最終的には誰かが気分を悪くしてしまい、その結果、自分自身の信頼を失い、その様子を見ていた人からも信頼を無くし、その話を聞いた人からも信頼を無くすという連鎖に入ってしまいます。
その結果、自分を良く見せるどころか信頼を失う結果にしかならないのです。我欲は信頼を失い身を滅ぼしますよ。
内藤正風PROFILE

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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。