映画「太陽の塔」を見て思った、いけばな作品の横に説明文を置こうなんて言っている場合じゃない。私たちはいけばな作品でちゃんとメッセージを発信しなければならないという事
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こんにちは、内藤正風です。
一昨日と一昨昨日の手の空いた時間に、プライムビデオで映画「太陽の塔」を見たのですが、頭を大きな石で殴られたかのような衝撃を受けました。
やっぱり岡本太郎はすごいです!!
太陽の塔を知っていますか
太陽の塔を知っていますか。
私は定期的に見に行きます。
この間見に行ったのをスケジュールで確認してみると2015年8月でしたので、6年も前になります。(この写真もその時のモノです)
とにかくこの迫力や存在感、そして訴えかけてくるものは、万博公園に足を運んでその場で目にしなければ絶対に分からないものがあります。
見る位置によっては巨人が歩いているようにも見えるのですが、この万博公園が仮にただの野山になってしまっても、この太陽の塔はこのオーラを放ち続けるのだろうなぁと思うと心が震えます。
太陽の塔というタイトルの映画ですが、太陽の塔を紹介する映画ではありません
この映画は太陽の塔を紹介する映画ではありません。
太陽の塔は、1970年に高度経済成長に沸く日本において「人類の進歩と調和」というテーマで開かれた大阪万博のために岡本太郎が制作したものです。
その太陽の塔をキーワードにしながら前衛芸術家岡本太郎のルーツというか本質を紐解き、何を表現しそしてどんなメッセージを伝えたかったのかを、岡本太郎研究の専門家や、様々な分野の学者や批評家、現代アーティスト、ダンサーなどへのインタビューで構成されており、今も色褪せることの無い岡本太郎の人類への挑発がビンビンと伝わってくる映画になります。
太陽の塔を制作しながら実はもう一つ超大作の制作も同時進行していたのをご存じですか
この太陽の塔というとてつもない作品の制作が進んでいるまさにその時に、もう一つの超大作の制作が進んでいたという事をご存じでしょうか。
それは「明日の神話」という作品です。
この作品、写真ではその巨大さが分からないですが、長さ30メートル、高さ5.5メートルの巨大壁画なのです。
こんな巨大な壁画と太陽の塔を同時に製作しているだなんて、凄いとしか言いようがありません。
そしてもう1つ、この壁画のすごいのはその物語にもあります。
メキシコ人実業家からメキシコシティ中心部に建築中のホテルへの壁画制作を依頼され、1968年から度々メキシコにわたって制作をはじめ、1969年にほぼ完成した壁画をホテルのロビーに仮設置し、最終仕上げの段階を迎えたものの依頼者の経営状況が悪化したことにより、ホテルは未完成のまま放置されてしまいます。
そしてその後ホテルは人手に渡り、壁画は取り外され各地を転々とするうちに行方がわからなくなってしまいます。
そんななか2003にメキシコシティ郊外の資材置き場にひっそりと保管というよりも放置されていた壁画が発見されて、今は日本の渋谷駅のJR線と京王井の頭線を結ぶ連絡通路に展示されています。
作品に説明なんて必要ない。何を感じるかは見る人によって変わっていいのだから
この「太陽の塔」にも「明日の神話」にも、こんな風に見てくださいという説明は書かれていません。
太陽の塔にはこんな銘板があるだけです。
そして明日の神話はこんな銘板があるだけです。
今の時代の事ですから、ネットでググればすぐに色んな能書きを見ることはできますが、作品のそばにはそのようなものは一切ありません。
すなわち、見る人が自由に見ると共に、何かをそれぞれに感じてくださいってことなのです。
そしてそもそも、同じ人であっても、年齢を重ねてゆくうちに同じ作品を見ても感じ方が変わってくるでしょうし、同じ年齢であってもその時の心のありようが違ったら感じ方も変わってきて当然なのです。
いけばな作品の横に作品の説明を掲示するなんて、自分を下げる行為だと思う
こういう事を考えていてふと思い浮かんだのが、いけばなの作品に説明文を誰にでも見ることが出来る様に掲示しようという行動の愚かさです。
確かに説明文を付け加えれば「あ~○○が表現したかったのね」とわかりやすくなります。
しかしそれって作品のレベルを下げる行為だし、観手の自由を奪う行為でもあるという事なのです。
いけばなの作品を生ける(作る)という事は、何かを表現しているという事です。それは涼しさや温かさというような体感的なものであったり、風景であったり、自分の主義主張であったり様々なものがあります。
それらの表現は、いけばな作品で伝わるようにしなければ意味がないという事です。
言い換えるならば、美味しいお味噌汁を提供してお客様に美味しいお味噌汁という風に感じてもらいたいのならば、美味しいお味噌汁を作らなければいけないですよね。まずいお味噌汁やおすましを作っておいてその横に「美味しいお味噌汁」という風に掲示してお味噌汁をお出ししたら、失笑をかう事になります。
いけばなは表現の手法であり、作者の意図と観手の受け取り方が一致する場合もあるしずれる場合もあるのが普通なのです。
だからこそ生け手は作品に心を込めて自分の表現を高めようとするし、観手は色々なことを思い浮かべ考え楽しむことが出来るようになるのです。
そんなことを改めて思う機会になった映画「太陽の塔」、ぜひご覧いただきたいお勧めの映画です。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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